文学的真実さと何かの重大関係があるのではないか。面白さと大衆性との関係だ。之に反して短篇小説は、主として身辺エッセイか又は極端な場合にはモラール・レフレクションやモラール・ディスカッションをさえその本質としているが、そこでは如何に風俗が虐待されがちであるか、そして同時に夫が如何に「純」文学的で「面白くない」か。等々。
風俗が映画などに於て占める特別な意義に就いては、後に述べる(「映画の写実的特性と風俗性及び大衆性」)。視覚に訴えることをその本領とする処の映画は、文学などに較べて、風俗のもつ社会的リアリティーの再現に努めることを著しい根本性質とするだろう、と考えたからである。そしてそこにこそ映画のスクリーン自身のもつ特有の大衆性[#「大衆性」に傍点]があるだろうと考えた。この点、映画以外の芸術形式(例えば舞踊其の他)にもあてはまるのではないかと思われる。
五[#「五」はゴシック体]
なお特に、風俗の文学的役割に就いて述べておこう――
私はすでに岡邦雄氏と一緒に、『道徳論』という本を書いた。共著というよりも二人の論文を合わせたものである。私の書いたのは道徳の観念が何かという
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