り、そして又それが、或る限度に於て、意識ある無産者(主として労働者)のモデルになるという状態でさえあった。学生がこれ程社会的リアリティーを持っていた時代は、云うまでもなく日本ではそれまでなかったし、今後も恐らくなかろうと思われる。
 私はある時偶然、武田麟太郎が自分の「大学生」振りを語った小品を読んで、非常に面白く思った。この不良な大学生が如何に社会的活動をなし得たか、という点を考えると、全く今昔の感に耐えないとでもいう他ないのである。武麟もその一人だが、この社会的リアリティーを背負って立った学生達の代表的な一団である新人会や、その社会的組織であった学連などから、運動家、理論家、作家などを面白い程多数に輩出したことは、誰知らぬ者はないが、注目を怠ってはならぬ点だろう。而もどれも早く若くして世に出たのだ。試みに最近の大学卒業生に就いて考えて見ればよい、この連中はもはや決して、あれ程易々として社会に乗り出すことは出来ないのだ。その時期は、汐時は、もう過ぎたように見える。
 この頃の学生は勉強しなくなった、気魄が衰えた、ということをよく聞く。恐らくそれは本当なのだ。大学や学校が社会的真実を教
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