運動だが、併し事実、二つはほぼ同じ気脈に於て行なわれる。事は単に学生が大体インテリであって知能が自由であるために、労働運動に理解があるとか同情が持てるとかいうだけでは説明されないことで、学生自身が自分の運動を労働運動になぞらえ[#「なぞらえ」に傍点]ているという点を忘れてはなるまい。彼等この現代青年の一種族は、無産大衆と何か同様な社会的状態に置かれているのである。大学生其の他は決してそう札つきの無産者の家庭の者ではない。世が世なら官吏にでも政治家にでもなれる処だ。それが自分を無産大衆みたいになぞらえ[#「なぞらえ」に傍点]なければならぬ。――ここに現代学生の、即ち一般には現代青年の、特別な固有な意義が見て取れるだろう。
彼等現代学生のこういう自己意識が併し、決して感傷や無知や思い間違いから来ていないことは、社会が彼等を実際にどう待遇しているかを見れば判る。警察は彼等を労働者と殆んど全く同様に、労働者になぞらえて、待遇する。彼らはこの支配社会からそういう仕方で抑圧されているのである。カフェー・ダンスホール・其の他の禁圧も、この学生をねらって試みられる(学校は学校で方々で昭和ザンギリ令を
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