無産大衆だと云い切ることは、勿論意味がない。だが現代青年と無産大衆とを離して理解することは、事実難いのだ。
例えば現代青年の一つの代表的な種族である学生を取って見よう。学生はインテリゲンチャなどと混同され易いが、無論それは乱暴なことだ。学生という範疇は一つの自分乃至職業を云い表わすものだ(図書館へ行けばカードの職業欄には学生と書くのだ)。だから本格的な学生は(夜学生や職業学校生は別だ)たとい芸人学校や職人学校(音楽学校や高等工芸学校など)でも、学生業以外の職業を許されていない。処が誰もインテリなる範疇をそういう身分だとも職業だとも考えていないだろう。それ程学生は一つの社会自身を意味するのだが、それにも拘らず、之は決して充分な意味で階級ではない。処が無産大衆なるものは、或る階級性を云い表わすことによって略々一つの階級を云い表わす処の言葉である。――でこうして学生と無産大衆とは、範疇的に別なシステムにぞくしていると云わねばならぬが、それにも拘らず、二つは何か直接な関係があると見られているのを、見落してはならない。
学生の学生運動は、無産大衆の労働運動とは、範疇的に別なシステムにぞくする
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