教育者は赤恥をかかされている。教育界に人なし、と云って、実業家で教育に関心を持っている人の内ではその人ありと知られた文部大臣平生釟三郎氏なども、吐き出すようにくさしている。官立大学の教授などは決して優れた人物でも優れた教育者でもないことは、今更学園争議大学の例を見るまでもあるまい。併し青年のいない処に、青年の優れた教育者などあり得よう筈はないのだ、いないのは良い教育者ではなくて、主人公である青年自身だったのだ。
 普通の青年、自然的な青年、はいないようなものであるが、併しこのことは却って、一種独特な、壮年になる準備や見習としてではなく、独立な、或る年の若い人間達がいるということに他ならなかった。之をして青年と云うなら、それこそ現代青年[#「現代青年」に傍点]というものだろう。――現代青年が、普通の自然的な意味に於ける之までの青年と、根本的に異る特色は、夫が云わば永久的に貧困で又云わば永久的に下積みである、という点にあった。之は丁度、現代の大衆、無産大衆のような[#「無産大衆のような」に傍点]ものに、他ならない。現代青年というのは無論初めからそういう階級を云い表わす範疇ではないから、之が
前へ 次へ
全451ページ中218ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング