そういう必要はなかった。でこの説教する壮老年者は実は現代の青年を殆んど全く理解していないのである。つまり時代はこれだけ進んで来ているのだ、それを身を以て知っているのが現代の青年だ。夫を理解出来ないのが現代の壮年以上の年齢の者だというわけである。それ故にこそ彼等はこの現代の青年を理解出来ない。――こう考えて見ると、現代に於ける青年と壮年との区別は年の区別でもジェネレーションや時代の区別でもなくて(何となれば両方とも現に同じこの時代に生きているではないか)、全く現代社会が有つ二つの社会側面、現代社会が示す社会の二つの姿、の区別だと云わざるを得ない。
 普通、時代はその青春によって計られるようだ。と云うのは夫々の時代の精神は青年の心理を以て特徴づけられるようだ。だから現代を知るとは現代青年の心理を以てするのが、歴史的認識の常道であるように見えるかも知れぬ。だが実は今日では、之は現代の社会の一つの側面一つの姿をしめすだけなのである。現代は、壮年者の時代が段々と青年の時代の手に移りつつあるというように云って了っては、片づかないような時代である。時代自身が、現代の社会が、二つに割れているのだ。と云
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