うのは、青年の生活条件と壮年以上の生活条件との距離が、普通ならば略々一定していて、或る時間が経てば息子は親爺の二代目になれるのを、現代では親爺は親爺として歩いて行き、息子は息子として歩いて行くので、息子は親爺の生活の梯を後から登って行くわけではないのであって、親爺が登って行く生活の梯を息子は却って降りて行くというような関係だ。両者の生活条件の間の距離は、段々と大きくなる。
 でこの通り、壮年者以上と青年との区別は、年とかジェネレーションとか時代とかいう時間的な区別でなくて、一つの社会の空間的な二つの方向と云ったような区別になっている、と云うのである。――現代青年は単に次の時代の者や新しい時代の者ではない。そういう風に考えることは、壮年者以上をば消えて行く時代の者とか旧い時代の者とかに見立てることに他ならないが、夫は要するに壮年者以上の者が、青年との比較に於て、青年に対して相対的に譲歩をして行くということだろう。処が現代の壮年者以上は、青年に対して決して譲歩などはしない。彼等はあくまで踏み止まろうとする。なる程彼等は刻々老いて行く。だがそれにも構わず彼等は踏み止まる。青年とは彼等の後継ぎ
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