な言葉のニュアンスも大事であるが、この点は後に見るとして、今云う教養とは人間の眼[#「眼」に傍点]と頭[#「頭」に傍点]と胸[#「胸」に傍点]と腕[#「腕」に傍点]とを意味するのだ。人間的教養というようなことも云われるが、之も言葉としては危険であって、云わば動物的(?)教養だって大事なのである。つまり、宗教馬鹿や政治馬鹿やアカデミー馬鹿や、小市民馬鹿や、インテリ馬鹿や、ダラ幹馬鹿や、哲学馬鹿や文学馬鹿、こういう各種の「馬鹿」という厳粛な社会現象が実在しているが、この馬鹿とは一般的教養の不足から来る結果を指すのだと私は思う。――職業[#「職業」に傍点]や専門[#「専門」に傍点]、専門的知識[#「知識」に傍点]や専門外的知識[#「知識」に傍点]、の如何に関らず、教養のあるなしということがあるのである。いや、職業や専門や知識が、却って馬鹿を増長させ教養を妨碍殺減する有力な動力になることさえあるのである。そこで職業的専門家としての作家の教養ということが問題だ。今日の日本の作家の文学的資質が決して悉くは高くないだろうと云ったが、それは他ではないので、作家の教養が決して一般に優れていないということ
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