というようなものをきっと伴うだろうと考える。実際吾々が想像する教養ある人間を文化的俗物から区別するものは、ここにあるだろうからである。
 さて真の教養の第一の目的はこうした教養を発達させることにあると云っていいかも知れぬ。教養とは教養され教育されるものを指す。だが現代のわが国に於て教育と呼ばれ得るものは何か。之は完全に、支配機構の官許的活動の一つにしか過ぎない。すると、こうした「教育」によって教養を教育しようするのは、変なことでなければなるまい。では何が教養を発育させるか。それは「教育」ではなくして、民衆に於ける啓蒙活動[#「啓蒙活動」に傍点]なのだ。啓蒙とは今日、単に知識を通俗化したり普及したりすることではなしに、オッポジショナル[#「オッポジショナル」に傍点]な教育活動を意味する文化運動なのである。
[#改頁]

 13 作家の教養の問題

 文学者・文士・乃至作家は一種の職業人を意味する。職業人としてのジャーナリスト又は著述業者の一種である。そういう職業によって生活するという意味に於て、文学者は一種の専門家[#「専門家」に傍点]だと云ってもいいのである。文学を職業としない文学者、
前へ 次へ
全451ページ中194ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング