訓練」に傍点]が、最も大切な条件であることを、声を大きくして主張しなければならぬ。知識の基本的訓練は教養にとって全く宿命的なものだ。だがそれにも拘らず之は教養の条件[#「条件」に傍点]であって教養そのものではない。丁度感覚が知識そのものではないのと同じに。この感覚の印象の響き方を聞いて、教養の立てる音を知ることが出来る。この音によって教養の質を判断出来る。――教養とは教育があったり物知りだったりすることでもなければ、物やわらかな品のいい好みや心構えのことでもない。そういう教養の観念は少なくとも今日では、甚だ教養に乏しい[#「乏しい」は底本では「之しい」と誤記]通俗観念に過ぎぬ。教養は認識的営養を摂取する能動的な感官をもつものだ。健康な人間の営養機関のようなものを有っている。
教養という概念は一般にこうだとしても、その新しい教養とは実際どんなものかと問われるわけだ。だが事実それはまだわれわれの手近かでそんなに発達しているわけではない。具象的な肉体性に於て、之をここに描いて見せることは困難だ。だが少なくとも、真の教養の感覚的な現われの、その一部は、云って見ればマテリアリスティック・ムッド
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