なる。だが教養を量るバロメーター自身を離れて、教養の実質を実際的な問題とすることは出来ないかも知れぬ。教養は関心のシステム如何によって打診出来ると云った。処が実際、意欲のシステムがチャンと出来上って育ちつつあることが、取りも直さず教養というもの自身かも知れない。そうすればこれは性格の発育[#「性格の発育」に傍点]ということと極めて近いものを持っている。発育[#「発育」に傍点]するメカニズムを持っている性格は教養の可能性を有っているのである。教育とは何を教育するのかと云うと、性格を教養する(ビルデン)ものとも云われているだろう。性格を有たない人間はいないように教養の無い人間はない筈だが、それにも拘らず性格の発育する人間としない人間とがある(「この児は性格があるよ」と女中がストリンドベリを批評した――「女中の子」)。それと同じに、教養の有る無しが考えられ得るのだ。優れた思想とか豊富な思想とかいうものも結局そういうシステムの教養に関すると云っていいようだ。
 一を聞いて十を知るということは単に素質のよさを意味するには限らないので、教養に於ける関心・意欲・思想・の体系の働きだと考えてもいい。眼
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