。だがこういう通俗語を如何なる程度に洗練して使えるかということが、教養の程度を示す一端となるというのである。「人格」・「貞操」・其の他其の他の類の道徳的通用語は、教養のある使い方とない使い方では、雪と炭との差を生むだろう。「ファッショ」・「独裁政治」・其の他其の他の政治的通用語も亦そうだ。後の方の場合には、社会科学的な知識の有無が人の政治的教養の有無と深い関係を持っているのであるが。――通俗語を洗練し生かして力のある言葉にまで仕上げるのは、多分詩人や思想家や評論家の仕事だろう。そういう意味に於て詩人や思想家や評論家にとって、教養は宿命的な意義を有っているだろう。
だが例は言葉に限らないのである。言葉の問題は実に観念[#「観念」に傍点]の問題のことだったのだ。通俗的観念を如何に批判し、之を如何に生きた力ある観念にまで仕立て直すかということが、作家や哲学者の教養に懸っている。所謂作家の教養なるものも、その一端がここに現われるわけだ。――でつまりこの種の場合の例で判るように、教養は常識[#「常識」に傍点]と何か直接な連絡があるのである。
では愈々、教養というものの実質は何かということに
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