らだ。
一般に教養人や文化人は、従来、諧謔を理解すると考えられている。この点恐らく新しい型に於ける教養についても或る程度まで変るまい。と云うのは、高い豊富な関心の体系から見て、話題になっている対象が比較的小さなサットルな関心にしか値いしないので、諧謔が可能になるのである。だが要するに原因は関心のシステム如何にあるのであって、このシステムから云って重大なものに対しては、勿論大真面目になることが教養の命じる処でなくてはならぬ。だから、教養のある者は要点々々に於て真面目であり、之に反して、重大な力点を置いて然るべき処で真面目になれない人間は、教養のない人間なのである。一体色々な意味に於ける馬鹿[#「馬鹿」に傍点]は、大体不真面目なものだが、「馬鹿」という規定と教養の欠如とは深い関係があるだろう。学殖ある無知[#「無知」に傍点]というものがある。
一つ特殊な例を選ぼう。世間で使っている言葉を自分の言葉として使う場合、その言葉をどういう深度と広範度とに於て使うかを見れば、その人間の教養の一端が判る。無論一般世間では単に便宜と習慣からして、どの通俗語に就いてもあまり教養のある使い方はしていない
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