レッタント的教養と同じく、要するに階級的固定観念や伝統的な好みのマンネリズムに帰する他ないという事は、少し考えて見ればすぐ判る。なる程大学に於けるビルドゥングは、「文化人」に必要なアカデミックな或る常識[#「常識」に傍点]を与える。少なくとも専門領域に就いての学界水準に相応する常識を与える。この点が独学者やアマチュアを専門学者から区別するのでもある。だがこういうアカデミックな教養は、アカデミー自身の退廃鈍化を覆すだけの力は少しも持たない。却って退廃鈍化を進行させるものこそその際のビルドゥングだということにもなる。つまり今日ではもはや、アカデミックな専門領域の停滞を打破する結果にならざるを得ないような総合的な見地[#「総合的な見地」に傍点]は、このビルドゥングとは別なものになって了っているのだ。そうすればこのアカデミックな教養は専門的職業人の徒弟的な躾け[#「躾け」に傍点]のようなものに過ぎなくなる。すると之は人格の完成とか自己の造り上げとかいうものでは更々なくなるわけだ。つまり一つの退屈な階級的趣味か感覚かの母体のようなものにすぎぬことになるのである。――こういう教養は、より新しいより
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