育なるものに相当するに他ならないが、処がビルドゥングの方は、正に知識の集積を通じないでは得られない処の、一定の文化的人格の造築を指しているからである。
 ドイツ観念論哲学によるビルドゥングというこの倫理的学究的観念こそは、正に教養の一種である。ごく教養のあるらしい教養観念である。事実この際教養という日本語はこのビルドゥングの訳に相応して用いられている。だが之は一見して判るように、甚だ個人主義的な観念に基いているものなのだ。自己の完成・自己の造り上げ・ということがこのビルドゥングだ。教養は人間の問題であって制度や何かの問題でないから、個人主義的に取り扱っても不都合は生じないではないかと云うかも知れないが、併しこの場合の個人主義は一種の[#「一種の」に傍点]文化主義を伴っている。と云うのは社会の物的生産機構やそれに基く生産技術的な人間的能力は、遺憾ながらこのさいの文化[#「文化」に傍点]の内には数えられないのである。文明[#「文明」に傍点]に対立するものがこの場合の「文化」の意味で、こういう文化は当然個人の自己完全という意味のビルドゥング=教養とならざるを得ないわけだ。之は悪く倫理的な観念
前へ 次へ
全451ページ中181ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング