教養の高さだという風に考えるやり方である。だが沢山の知識を持っていながら一向纏りのない人間もいるのであり、逆に知識の数は特に豊富でなくても、一つ一つの知識が生かされているために見識か識見かの高邁な人間も少なくはない。知識の欠乏は人間を低くするものだが、そうかと云って単に知識の分量の多いことだけで人間の眼は高くはならぬ。問題は知識の分量ではなくて知識の質であり、而も良質な知識材料を質的にすぐれた仕方で物にすることが、初めて人間を高邁にもするだろう。この要求をはずれれば、人間は知識を有てば有つ程益々馬鹿[#「馬鹿」に傍点]として発達さえするのである。馬鹿というのは決してただの何物かの欠乏のことではなくて却って育ち行く或る生きた組織なのだ。丁度癌が一つの発達して行く活組織であるようにだ。
でそうすれば、知識というもので以てすぐ様教養というものを割り切って了うことは出来ない相談ということが判る。処が世間ではそういう教養の観念が案外通用しているということは注目すべき事実なのである。――教養は教育[#「教育」に傍点]乃至学校教育[#「学校教育」に傍点]の結果だという通俗観念が実際あるのだ。この場
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