らず、この教養的である点自身が卑俗の卑俗たる所以なのである。なぜならこの場合、教養のあるなしは要するに或る一定の趣味に合うか合わぬかで決められるわけで、その趣味たるや片すみのすたれ行く階級によってマンネリズム化された退屈至極な固定観念以外に、意味がないからだ。極端な場合になると、通[#「通」に傍点]や通人[#「通人」に傍点]というものが之で、これ程悪趣味で無教養な現象はないのである。いや単に悪趣味や無教養だというだけでなく、そうしたものが特に「馬鹿」な慢心に由来することによって、より一層悪趣味となり無教養となるのである。
 こういう意味の教養は、社会の或る種の層を通じて多々ある現象なのだから、もっと詳しく解剖しなければならないのだが、教養というもの自身が何かという今のさし当っての問題にとっては、問題にならぬものとして一応取り除いておこう。――次に考えるべきものは、教養と知識の所有[#「知識の所有」に傍点]という処から理解しようとするやり方である。例えば歴史的知識を沢山持っているとか、色々の活社会や科学に就いて、又色々の芸術作品に就いて、知識の分量を人より多く持っていることが、その人間の
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