いていたわけだが、夫が今日、特に作家の教養という外形で、教養という問題一般への緒口となっているのだ。
 そういうなら当然、文芸批評家の教養というものも問題にならずには措かないわけだが、それに就いてはおのずから触れることも出来よう。いずれにしても之を単に文学の世界だけの問題として片づけることは、それこそ教養のない片づけ方と云わねばなるまい。と云うのは現に、作家の教養に就いての要求は、作家の社会的歴史的知識、そうした社会理論や一般の科学的認識、を要求するということがその動機の一つだったのであって、夫は明らかに作家が単なる文学の世界乃至文壇にその作家意識を局限してはならぬという、注文なり反省なりの結果であったからだ。
 教養の最も卑俗な観念は、多分ディレッタンティズムに於けるそれだろう。ディレッタンティズムそのものに就いても色々の理解の仕方があるわけだが、今は之をごく普通に用いられている意味に取るとする。即ち一種の有閑層が有つ感覚の一定条件による階級的洗練というような意味に取るとする。そういう形のディレッタンティズムによる教養の観念は、一見極めて教養的で従って高尚なようなものだが、それにも拘
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