その際主張の弾みとなるものは、単に文学的な表象(科学的なカテゴリーとは独立な亦は之に対立さえした)のイメージ相互の連絡であるか、それとも常識的なレディメードな観念(之ほど非文学的なものはない)の常識的な連想であるか、ひどい時になると常識用語の習慣的な継起(之ほど非詩的な連想はあるまい)であるかだ。之はもうスタイルではなくて、美文の類だ。スタイルは思考が要求する文章の姿態のことだから。――私はこうしたカラクリを前から「文学主義」と呼ぶことにしている。
この文学主義に立つ主張型が、情熱的に見えるということは、尤もなことだが、地を焼くことが出来ぬ情熱が天を焦すことなど出来る筈がないのだ。情熱が主張の塗料となる時、もはや情熱ではなくて軽卒でしかない。――真の情熱は結局決意と同じに、云わば分析の結論[#「分析の結論」に傍点]の上で初めて発情する。「分析の結論」は決してまだ情熱ではないが、情熱を産まないような分析の結論は、「結論」のない分析であり、ペダントリーや弁解やに於て見られるような匍匐的リアリズムに過ぎないのだ。事実従来の論文には、そういう「分析」が少なくなかったのである。
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