云えば、分析に基かない情熱的主張は、客観的に見てファッショ・デマゴギーの温床でさえあるのだ。分析=論証のない情熱は、そういう一般的情熱、一般的な主張衝動は、創造的な想像力と妄想とを区別することを知らない。無条件な主張衝動が信頼出来そうに思われている場合も、実はその根柢に分析の結論[#「分析の結論」に傍点]が想定されていることが約束されている場合だからであって、如何に陶酔してもこの約束だけは忘れてはならぬ。
私は学術論文の類を分析型であるべきものと考える。之に反して評論雑誌に於ける所謂「論文」を、即ち主張型になることを今日要求されている処の当のものを、分析型に対して評論型[#「評論型」に傍点]と呼びたいと思う。評論型のスタイルとは、分析型の分析に基いて初めて主張型に登りつめたスタイルだ。之が評論[#「評論」に傍点]というもの一般の落ちつくべきスタイルであり、そして所謂総合雑誌を代表するスタイルとなるべきだろうと思う。之は理論であることによってある処の思想のスタイルである。総合雑誌・評論雑誌を、私はこういう理由から正当には思想雑誌[#「思想雑誌」に傍点]と呼ぶことが出来ると思うものだ。
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