イックな情熱の代りに却って白々しい不安をさえ感じるだろう。論文になればこの点愈々そうなのだ。――もしこういうものが主張[#「主張」に傍点]の論文のスタイルであるなら、吾々は用心しなければならぬ。分析型の代りとして現われて来た主張型が、もしそういうものであるなら、吾々は唯物論的意欲の代りに現われた限りのロマンティシズムやヒューマニズムに用心しなければならぬと同じに、用心することが必要となる。
 私は評論としては常に主張型のスタイルを採るべきだと考える。だが主張型は分析型が単純に置きかえられたものであってはならないのだ。なる程問題はスタイルなのだから、思考の上では充分分析に基きながら而も文章の上では分析の操作が現われずに、その結論のような主張だけが現われるということは、可能だし、又それこそ当然な評論的論文のスタイルの約束でなければならぬのだが、併し所謂主張型なるものは、多かれ少なかれ、思考上に於ても分析を軽んじた結果であるらしいのが、多くの場合の事実なのだ。
 こうなると主張型のスタイルは、理論的な範疇操作とは独立に、そういうものを時々無視さえして、初めて成立つということになるのであって、
前へ 次へ
全451ページ中130ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング