意味があるだろう。と云うのは優れた理論家と優れた実践家とを兼ね備えた人物は極めて少ないので、多くの場合に夫は単なる理想目標に他ならないからだ。
で私は、思想家や理論家なるものを、学者でもなければ実際家でもないという点で、主張家[#「主張家」に傍点]であるという風に、一応云うことが出来るように思う。そして作家や文芸批評家をも、この思想家や理論家の内に数えての上である。こういう主張家なるものは、一種特別な社会人である。彼等はその本質から云って、社会的な情念の動きを自分の唯一の生命としている。各種の社会現象に対して吸引か反発かを感じない時には、彼等は全く死んだ人間も同様なのだ。破れた思想家や行き詰った理論家は、もはや自分自身で何の意義をも見出し得ないような無的存在となる。一つの火である、それが消えれば凡てが消えるのである。その意味から云うと、思想家や理論家は、その主張の情念を失う時、全くの無能者となる。何の役にも立たぬ。彼等はその限り[#「その限り」に傍点]、広義に於ける技術家乃至技能者とは全く違うものだ。無論彼等が絶対的に技術家でも技能家でもないというのでは決してない。実は思想も理論も或
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