ある。理論家は通常博大な常識人だ、常識人と云っても、何でもかんでも知っているという意味ではなくて、常識という意識統一の統覚のようなものを人一倍敏活に有っているということだが、従って必ずしも平均的な凡庸な理解という意味での常識に終始しているというのではない。もしそうなら所謂常識家以上のものではあり得ないので、特に理論家などとは云えまい。でこの常識人であることが所謂思想家の一種の超常識性と違う点だが、常識に対して説明することなしに常識を踏み越えることが、思想家の世に容れられない超常識や非常識の内容であるに反して、理論家が常識人たる所以は、与えられた常識を踏み越えるのに、いつも既成常識への挨拶を忘れず、また踏み越えてからその経緯を元の常識に報告することを怠らない、という点に存する。
 理論家はこの意味で常識人であり、所謂学者のような意味での研究者でもなければ、まして博学者でもないが、それと共に、勿論亦、実際家でもないのが普通だ。彼が実践家でないが故に理論家だということに普通はなっているのである。理論と実践の統一ということは無論大切な目標だ。併しそれにも拘らず理論家と実践家との常識的な区別には
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