る意味に於ける判然たる技能か技術であって、之を欠いた人間が思想家や理論家になれぬことは知られた事実だ。彼等は云わば「文化的」技術家なのだ。と云うのは意欲表現の技術家だ。だがこうした文化的技術なるものは、本来の技術(生産技術に直接する処の技術や技能)とは異って、一旦習得されたものが無条件に蓄積されるということがない。もしあるとすれば夫はマンネリズムということであって、夫は蓄積というよりも寧ろ既得のものの腐敗と消滅に他ならない。石のようなものではなくて火だ。燃えきって了えばゼロになるものだ、之が一般に文化的技術というべきものの特色だろう。――主張家に主張がなくなればお終いなのである。不満や賛美のない処に、主張家は成り立たぬ。この主張家なるものが、社会的に活発な生物である所以だ。だから含蓄ある意味でのジャーナリストも亦、このカテゴリーの外にはあり得ないのである。
だが私は今、この主張家の内にも、再び主張家[#「主張家」に傍点]というタイプとそうでないタイプとがあることを、書きたかったのである。主張家でないタイプは分析家[#「分析家」に傍点]と呼んでいいかと思う。この二つのタイプは可なり根
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