の日本の思想界は、正に評論の危機に臨んでいると云わねばなるまい。
今しばらく巻頭論文系の文章を離れて、文章に評論らしい資格を与えそうな、何等かの原則を探ねて見ると、ヒューマニズムというものが眼の前に横たわっている。之は文壇のトピックでもあるようだが、それというのも実は論壇評論壇の根本テーマだからだ。その証拠に、矢内原氏の評論の立脚点であるプロテスタンティズム(?)もヒューマニズム主義者のヒューマニズムも、共通のある機能を持っているだろう。と云うのは、このプロテスタンティズム式「精神的自由」も、ヒューマニズム式「ヒューマニティー」も、どれも、唯物論に代位して思想の論理的システムの中核となろうとしている世界観の原則の心算だからだ。
ヒューマニティーの強調をすぐ様ヒューマニズムというシステムの主張にすりかえることは、論理的に大きなギャップがあることだ。この点をこの際多くの論者は見遁しがちだ。無論、合言葉をすぐ様思想のシステムの軸とすることは、自由だから自由主義、精神だから精神主義、理想だから理想主義、文学だから文学主義、と推論するのが可笑しいように、可笑しいことなのだ。私は「ヒューマニズ
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