ムの現代的意義」の筆者(『文学界』一九三六年九月)森山啓、阿部知二、そして特に三木清の諸氏に、この間の消息に就いて、より以上の関心を期待したいと思う。ヒューマニズムというスローガン(?)は今は極めてピッタリしている、之を導き出すシステムは併し、ヒューマニズムでは困ることになる、という一つの消息をだ。岡邦雄氏がヒューマニズムに「限定」を要求したのがそういう意味からなら、よく判る。

   四[#「四」はゴシック体]

 思想[#「思想」に傍点]というものから便宜上或る意味に於て政治[#「政治」に傍点]を捨棄すれば、残るものは恐らく教養[#「教養」に傍点]というものになる。ヒューマニズムと自由主義(文化上の自由主義)もこの教養問題に関係があるのだ。作家に就いてもその教養が問題になっている。ここに最近の評論壇のトピックの一つの代表的な特色を見ることが出来る。
 桑木厳翼博士が「教養としての哲学」を説いているのも、学術と思想、科学と教養、とを区別しようという、評論[#「評論」に傍点]の意義の強調かと思う。処が教養とは何かと云われると、之は決してそう簡単には判らないものだ。少なくとも普通教養と考
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