前者だが、彼等は恐らく、自分の専門領域以外に就いて無関心であっていいというような権利を持つことが、専門家というものだと考えているだろう。あれは私の専門ではないのでよく判りませんが、というようなことを口にする専門家は、結局自分の専門領域外のことには無関心であったり無知であったりすることを合理化しているに他ならぬのであって、彼等の学者なら学者、文士なら文士としての、人間的無責任を告白しているに他ならない。他領域に就いては他領域の専門家の仕事を一応信用してかかるというならば、それはそれで当然なことでもあるし必要なことであるが、併し他領域の専門家を信用するにも、どれを信用しどれを信用しないかは、自分の責任だ。私は哲学は専門ではありませんが、などと云っている科学者に限って、ロクでもない哲学を振り回して平然たるものだ。こうして「専門家」の常識的[#「常識的」に傍点]見解ほど始末の悪いものはないので、まずお医者さんの政治論と云った種類のものだろう。
 この間或る結核専門[#「専門」に傍点]の医学博士が治療国策を論じたものを見たが、社会科学に就いての常識を殆んど全く持っていないこの医学の専門家は、他領域の専門に就いて全く素人くさい議論をしているのだが、而も自分が結核の専門家であるというので、この素人論も何か専門的な意義があると錯覚しているらしい。比較的心臓の弱い「専門家」は自分の専門領域以外へは決して眼を転じないことをアカデミシャンの節操のように思っているし、之に反して、比較的心臓の強い「専門家」は自分の専門領域以外へ出て出鱈目なことを云い振らす。いずれも専門領域以外のものに対して無責任[#「無責任」に傍点]であることの、アカデミシャン的「専門家」の必然的な態度であることに変りはない。――つまりこういう意味に於ける専門家とは、自分の専門領域のことしか知らない、という消極的な弁解屋(弱気な又強気な)を意味していると云わねばなるまい。
 今日の理科的又文科的なアカデミシャンに見られるこう云った専門家振りは、云うまでもなくアカデミシャンとしての生活を保証する処の一種の職業組合が、産んでいる意識なのだが、そうだとすれば、前に云ったあの積極的な意味での専門家、即ちその独自の職業によってその生活の根幹が発育するという形での専門家と、ものは同じものに他ならぬのであって、つまり専門家という意味には、こうした真実な意味と莫迦げた意味とがあるということなのだ。丁度職業にも、社会的リアリティーとしての意義があると同時に、職業的賤しさがあったと同じに。
 でこの裏と表とのある職業人専門家なるものの一般的な事情は、文学者、文士にも亦特別な形であてはまるわけだ。文学者・文士として主だったものは、今日の日本では作家であり、特に小説家[#「小説家」に傍点]なのだが、職業人=専門家としての小説家に、どんな真実と社会的リアリティーとの積極性があるか、又同時に、莫迦莫迦しさと職業的な卑小さとがあるかが、一考を要する点だ。
 今日の日本の読書子の有態の感想を正直に述べさせるなら、月々の評論雑誌や文芸雑誌や文芸同人雑誌に載る小説(主に短篇中篇小説)を読んで、恐らく誰でも、何と無駄なものが多いことだろうと慨嘆するのではないかと思う。忙しいのに読まされて腹が立つと云った種類のものが決して少なくない。之は広く文化現象の上から云っても、文学界の権威から云っても、まして作家自身にとってはなお更のこと、不名誉なことだ。だがそれはそうでも、こうした本質的にクダラないガラクタでも、毎月相当の分量のものをしかも夫々のヴァラエティーを与えて発表し続けるということは、決してそんなに馬鹿にはならぬことなのだ。ここには素人の真似の出来ない職業的訓練があるのである。そして実際、こうやって低調ながら職業的持続を持ち応えて行ける者は、持ち応えている内にいつかは又いつの間にか、少なくとも多少の真実とリアリティー[#「リアリティー」は底本では「リアリアティー」と誤記]には逢着するのだ。之は専門家でなくては一般的には期待出来ない事情ではないかと思う。
 一つ二つの可なり優れた短篇小説を書くことは、比較的偶然にも出来なくはないが、多数の駄篇の発表を通じてともかくも相当な創作を略々コンスタントに発表するということは、そう容易なことではあるまい。この点、多作か寡作かというような数量や又良心の問題などとは割合関係なしにそうなのだ。――之は職業的な専門的作家の寧ろ積極的な価値ある側面のことだが、併し他方、こういうことをすぐに思い出さねばならぬと思う。考え方によってはこうした職業的訓練は実はそんなに驚くべきことでも何でもないので、誰でも、特別にポジティヴに素質が悪くない限り、或いは一人前の性格力さえあれば、夫々の道に於て、今言った程
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