訓練」に傍点]が、最も大切な条件であることを、声を大きくして主張しなければならぬ。知識の基本的訓練は教養にとって全く宿命的なものだ。だがそれにも拘らず之は教養の条件[#「条件」に傍点]であって教養そのものではない。丁度感覚が知識そのものではないのと同じに。この感覚の印象の響き方を聞いて、教養の立てる音を知ることが出来る。この音によって教養の質を判断出来る。――教養とは教育があったり物知りだったりすることでもなければ、物やわらかな品のいい好みや心構えのことでもない。そういう教養の観念は少なくとも今日では、甚だ教養に乏しい[#「乏しい」は底本では「之しい」と誤記]通俗観念に過ぎぬ。教養は認識的営養を摂取する能動的な感官をもつものだ。健康な人間の営養機関のようなものを有っている。
教養という概念は一般にこうだとしても、その新しい教養とは実際どんなものかと問われるわけだ。だが事実それはまだわれわれの手近かでそんなに発達しているわけではない。具象的な肉体性に於て、之をここに描いて見せることは困難だ。だが少なくとも、真の教養の感覚的な現われの、その一部は、云って見ればマテリアリスティック・ムッドというようなものをきっと伴うだろうと考える。実際吾々が想像する教養ある人間を文化的俗物から区別するものは、ここにあるだろうからである。
さて真の教養の第一の目的はこうした教養を発達させることにあると云っていいかも知れぬ。教養とは教養され教育されるものを指す。だが現代のわが国に於て教育と呼ばれ得るものは何か。之は完全に、支配機構の官許的活動の一つにしか過ぎない。すると、こうした「教育」によって教養を教育しようするのは、変なことでなければなるまい。では何が教養を発育させるか。それは「教育」ではなくして、民衆に於ける啓蒙活動[#「啓蒙活動」に傍点]なのだ。啓蒙とは今日、単に知識を通俗化したり普及したりすることではなしに、オッポジショナル[#「オッポジショナル」に傍点]な教育活動を意味する文化運動なのである。
[#改頁]
13 作家の教養の問題
文学者・文士・乃至作家は一種の職業人を意味する。職業人としてのジャーナリスト又は著述業者の一種である。そういう職業によって生活するという意味に於て、文学者は一種の専門家[#「専門家」に傍点]だと云ってもいいのである。文学を職業としない文学者、即ち生活資料は他の手段で獲得する文学者、もいないではないが、大体に於てそういう種類の文学者はエキスパートとしての特色を備えていることが少なく、従ってディレッタントに過ぎない場合の方が多い。専門家というものもその職業的訓練から離れて理解されるべきものではあるまい。
なる程職業的訓練は同時に職業的変質を意味する場合が極めて多い。今日のブルジョア社会に於ける職業的訓練なるものは、生活のノルマルな発育を歪曲することによってしか得られないだろう。特に文学者や文士の職業界は可なりにギルド的組織の形態が残っていて、ギルド的な成長をして来ているのだから、この職業人は甚だ屡々、職人気質を持っているのである。職業的眼界の狭さや、新しい世界への接触に対する反感、技術的自負心と外界に対する無知とから来る独りよがり、必要以上の友誼感と反目、甚だ世俗的な仁義、其の他数え立てれば数知れぬものがあろう。だがそれは否定的な反面ばかりに注目するからであって、職業の積極的な本来の面目は、とに角それによって実際に生活が営まれるということだ。資本制社会では資本主義的な意味に於ける職業しかなく、而もそういう資本主義的な秩序に於ける職業に依るのでなければ、社会の生産機構に直接結びついた実際生活[#「実際生活」に傍点]が行なわれないのであり、つまり資本制秩序にぞくする職業に基づく生活以外に真の生活は大衆的にはあり得ないのだ(職業的変革家などの場合は別として)。――この職業というものの持っている生活上のリアリティーこそ、専門変革の社会的リアリティーを産むもので、この際、専門家であるか専門家でないかは、エキスパートであるかディレッタントであるか、ということに他ならないのである。玄人とは、一定職業の職業人であることによって、一定の専門家であるものを指すのだ。
で専門家というのは、その専門領域に於て他の人間よりも秀でているもので、生活の根幹がその専門領域による職業を通じて発育するというメカニズムを持った場合の人間のことであり、その限り極めて積極的なものを意味するのだが、処が他方に於て、この同じ言葉が色々の消極的なニュアンスの下に慣用されるということも、見落してはならない。例えば未熟なアカデミシャンの三四の人間に接して見るがよい。学術・技術上のアカデミシャンでもいいし、文芸や芸術のアカデミシャンでもよい。特に露骨なのは
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