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 9 風俗警察と文化警察

   一[#「一」はゴシック体]

 一体警察権は一定社会の生産関係の根柢を保善するために存在している。社会の安寧秩序[#「安寧秩序」に傍点]が警察によって保証されることは、科学的に云えば要するに以上のことに尽きていると云っていいだろうと思う。
 法律が人命財産を保護することを何よりも根本的な直接目的としているに応じて、このような法律を実地に運用出来るように、肉体的物理的な条件を用意するものが、警察権であることは、誰しも異存のない処だろう。けれども実際に存在している法律は、云うまでもなく単に人命や財産だけを保護するだけでは、人命や財産自身の保護さえが決して充分に実行され得ないので、人命財産に直接関係ある名誉や権益其の他のものの保護も、法律の重大な目的になっている。だから警察権はそれだけ、人命財産の保護という本来の職能からははみ出さねばならぬわけで、それは一応当り前な現象と云わなければなるまい。
 だがこうした生産関係の保善という本来の政治警察権[#「政治警察権」に傍点]は、実際には更に拡大されている。一定の生産関係の上に、一定の道徳[#「道徳」に傍点]と一定の文化[#「文化」に傍点]とが出来上るということは誰でも知っているが、そういう道徳なり文化なりが自分が立脚している生産関係と或る切っても切れない必然的な関係にあるので、この生産関係を保善する筈の例の本来的な政治警察権は、やがて、風紀警察[#「風紀警察」に傍点]として、又文化警察[#「文化警察」に傍点]として、発動するようになって来る。
 ここで道徳というのは、別に修身道徳のことではなくて、社会の慣性・習俗のことであり、例えば裸身になるということは一定時代の風俗に反する意味で反道徳と考えられるという意味の道徳で、所謂風紀・風俗という言葉が一等よくその特色を云い表わしている。警察は、一定の生産関係に立脚した一定の風紀・風俗の保善に任ずるという意味で、風紀警察・風俗警察となるのである。
 それから、ここで文化というのは、その根柢になる生産関係を肯定したり批判したりする観念組織からなっているもののことで、之が今の生産関係と重大なる観念上の連関がある処から、一定の生産関係を保善する筈の警察権は、同時に文化警察の形を取って発動しなければならなくなるのである。
 処が警察権の支配下に立つものは、元来、何か公的なものに限るわけで、例えば政治的な又市井的な行動や言論が夫であって、一切の私的なものは除外されるのが立前である。人の見ていない処で何をしようと、それが他人へ決定的な影響を与えない限り、丁度人間が何を考えようと勝手であると同じに、それは全く個人の私的行為であって、警察権の支配外に横たわるべきだと考えられるのが当然である。
 処が私的な個人的な事柄も、あまり多数反覆されたり、あまり著しく類型をなしたりする場合には、やがて、おのずから公的な社会的な意義を持って来るのが事実であって、例えば「不良ダンス教師」の不良振りは、一人一人の場合や単に幾つかのダンスホールだけの場合に就いて云えば、全くの私行問題に過ぎないとも考えられるが、それが多数のダンスホールを通じて多数のダンス教師に共通な現象だとなると、不良少年係りの風紀警察網に引っかかるのである。有閑マダムは何も街頭や店内で風紀を乱しはしないが、不良ダンス教師や名流文士の賭博という、やや公的な風紀壊乱や「犯罪」と結びつけられて、風紀警察ものとなるのである。

   二[#「二」はゴシック体]

 文化警察に就いても風紀警察と殆んど同じに考えられるのであって、思索や読書や意見の発表が単に処々で個人々々で行なわれている間は、之は全くの私事にぞくするが、夫が多数の人々によって規則的に行なわれる一つの現象となると、注目すべき公的な「社会現象」になるわけで、その結果は単に意見の宣伝や意志の表示ばかりではなく、個人的な読書さえが文化警察権の支配下に立たされるようになるのである。
 私的な生活が決して公的な社会的な生活から切り離すことが出来ないのは、以上云ったような点からだけ見ても明らかで、その結果、極端に考えれば、私的なものとの区別は厳密には与えられないということになりそうだが、もし夫が本当なら、吾々の生活の凡てのアスペクトが、皆警察権下に横たわることになるだろう。そういう馬鹿げたことがない以上、或いはそういう馬鹿げたことがあってはならない以上、私生活と公的な社会的な生活との区別は、いつも残存しなければならない筈だ。
 処が、私的なものがやがて公的なものへ何時の間にか移行するという今云った事実を、ある目的の下に逆用して、私的生活にぞくするものを、勝手に公的な社会的なものと見做すという手段によって、警察権はいくらでも私
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