的生活に立ち入ることが出来るという事実をも、吾々は注目しなければならない。
元来、所謂「上流社会」は「下層社会」に較べて、有産者らしい便宜や名誉のおかげで、生活のプライヴァシーが遙かに厚く社会的に保護されているから、有閑マダムのプライヴァシーを曝くということは、下層社会のお神さん連の公的な風紀壊乱を指摘するのと全く同じ水準の社会取締り方針にぞくする。取り締りに階級的えこひいき[#「えこひいき」に傍点]がないことを示すためには、甚だ有効な手入れ[#「手入れ」に傍点]だと思うが、併しその形式から見れば、有閑マダムの検挙(?)は、私的生活に、公的生活の口実を藉りて、風紀警察権が勝手に立ち入った形に他ならない。
偶然名流文士達の賭博という犯罪[#「犯罪」に傍点]が発見されたというので、マダム達の検挙もやや合理的になり得るものの、それから又、道徳が頽廃(?)した現代のために警鐘を打ち鳴らすという点では、相当痛快ではあるものの、とにかくこうした道徳的[#「道徳的」に傍点]な役割は、風紀警察の出すぎた一例となるだろう。
文化警察もその通りで、例えば思想警察権は今日次第に思想者の私的生活にまで立ち入って来つつあるように見受けられる。この頃流行る所謂転向の誓約というのは、転向した当人のその後の私的生活を束縛することがその内容となっている。例えばプロレタリア小説から足を洗うとか、西洋画は書かないとかいう、元来が個人の自由な選択に任されるべき私的生活の形式が、そこでは官製のものに引き代えられる。八百屋になっても良いが魚屋になってはいけないというのが、今日の文化警察の権限である。
警察権は今日、公的生活の取り締りの名の下に、私的生活の領域を、無限界に支配し始めている。警察権はその意味で、私的化[#「私的化」に傍点]され、道徳化[#「道徳化」に傍点]される。それは修身化[#「修身化」に傍点]され、倫理化[#「倫理化」に傍点]される。この点は警察権が対応する処の、法律自身の最近の動向と全く一致するものがあるのである。
そして警察権のこの私的化・道徳化・修身化・倫理化を、最もよく利用し得るものは、云うまでもなく、例の風俗警察と文化警察とに外ならない。
三[#「三」はゴシック体]
文化警察は今日主に思想警察となって現われる。思想というものはその本来の性質上、云うまでもなく一般に行動として形を表わすのだが、夫と共に、他方特に思想発表行為として、即ち教示・普及・宣伝・等々の言説や集会や出版行為・展覧行為・壇上行為等々として、形を取って現われる。この後の方の文化的行為[#「文化的行為」に傍点]こそが、特に文化警察の伸縮自在な領分であって、中でも検閲[#「検閲」に傍点]がこの警察権の最も有力な内容になっている。
処が文化的行為の形を取るものに就いては、単に文化警察ばかりではなく、風紀警察も亦干渉して来る。検閲は元来文化警察にぞくするもので、文化的行動に就いてしか意味のないものだが、その内容になると、風紀警察をも含んで来ることが出来る。
この場合には、検閲は思想の検閲であると共に、風俗の検閲でもあることとなる。だから検閲はこの場合、云わば文化警察と風紀警察との、独特な結合物だということが出来よう。風紀警察が検閲に干与するのは、風俗が一つの文化的行為となった時で、例えばエロ・グロ・行為が単に社会的に公的化された場合はまだ検閲とは関係ないが、そういうエロ・グロ・行為が、或る文化的行為の形で、社会的に公的化された場合になると、検閲の対象となるのである。
で、文化警察と風紀警察とが、以上のように独特な結び付き方をすることの出来る検閲なるものは、一体文化警察や風紀警察自身が、公的社会的な者を取り締るべき本来の政治警察権のコースから離れて、相当勝手に私的個人的な世界にまで踏み込むものだったのだから、可なりの解釈の自由・寛厳の手心・が予定されているわけで、それだけアービトラリな主観的なものに根拠を置いていることになる。検閲に就いての悶着はいつもここから発生するのである。
治安維持法と出版法とに連関して、現下の思想検閲が、どんなに重大な役割を演じているか、改正された出版法や、やがて改正されるに相違ない治安維持法其の他によって、この検閲がどんなに絶大な偉力を発揮するだろうかは、今更ここで説明するまでもない。検閲制度をこのようにヒステリカルに強調するのは、思想検察という文化警察権の、例の無限界な私的化という事実と、それに基づいて勝手な主観的適用が出来るという事実とを、利用したものであって、この頃では警察権のアクセントの置き所の一つが段々ここに集中して来るにも拘らず、それだけ警察権は本来の政治警察的なコースを踏みはずして行くという一般傾向が、之で以て最も著るし
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