実は節操のカリケチュアに過ぎないということは誰でも知っているのであって、節操とは本当は、道徳的な首尾一貫[#「首尾一貫」に傍点]のこと以外のものではなかった筈だ。
 処で道徳上の首尾一貫と云っても、古来の陋習を固執するというのでは頑迷以外の何ものでもないわけで、認識の怠慢を示すものに他ならないが、そういうものでは元来節操でも何でもないことになる。で、どうしても、道徳上の首尾一貫ということは、認識[#「認識」に傍点]の首尾一貫をば直覚的な形で代表する処のもの以外にはない、ということになる。道徳的な節操とは、認識の首尾一貫、認識の節操ということだ。
 認識の節操などというと、言葉は甚だ作文的で、従って無責任に聞えるかも知れないが、それなら認識の論理的統一[#「論理的統一」に傍点]という平凡な言葉で置きかえても構わない。
 併しここから私は一つの社会科学的な公式を導き出すことが出来るのである。即ち、科学的認識の上での論理[#「論理」に傍点]の欠乏は、道徳意識の上での節操の欠乏に対応する、という公式である。例えて云えば哲学[#「哲学」に傍点]があるかないかが、彼が転向[#「転向」に傍点]するかしないかという品行を決定するのだ。で哲学者福本一夫などは、恐らくこういう原因から簡単には、転向出来ないのではないかと思う。

   二 常識教育の請負師と職業的告白者[#この行はゴシック体]

 話しは一寸横へそれるが、評論家故土田杏村は、一種独特な条件を持った文筆業者だったと思う。彼は事実非常に博学であって、どの方面に向かっても相当の程度にまで玄人と太刀打ちの出来る学者でもあったが、併しその見解は、甚だ凡庸で、理論家にとって絶対に必要な食い入る鋭さを完全に欠いていた。処が実はそこが彼の評論家としての第一の強みだったのである。
 と云うのは、彼はいつも世間の常識水準にアダプトすることを何よりもの心がけとしていたのであって、ただ世間の常識に先生らしいアカデミックな快感を与えるためにだけ、物を書いていたとも見ることが出来るからである。彼は常識を淘汰して常識を発達させる処のエンサイクロペディストではなくて、いつも世間の与えられた常識水準を手頼りにして物を書くエンサイクロペディストであった。
 それ故に彼はあれ程多数の固定読者を持つことが出来たので、恐らく彼は、自分の読者に対して、社会的な教師
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