於ける知能分子の代表者であったから、仏教徒の内には相当多数の一種の知能分子が含まれていることを注意すべきであって、相当の実質を伴った大学や学校の数も極めて多い。この点神道の信者達と大いに違う点で、後に云う今日の宗教復興[#「宗教復興」に傍点]運動の主力がこの知能僧侶の間から出て来る理由が充分あったのである。
キリスト教の歴史は日本では云うまでもなく浅いが、二十有個の宗派に属する信徒総数は約二十万人足らずを算えている。キリスト教はヨーロッパ・アメリカ・資本主義と資本主義的文化とを持って来たものであったから、この信徒の内には資本主義的文化を担う知能分子は極めて多い。
さて処でこの三つの宗教は日本に於て益々盛んになりつつあるか、それとも次第に衰えつつあるかと云うと、部分的に云えば別であるが、結局に於ては段々下り坂だと見ねばならぬ。現に神道でも仏教でもその信徒は段々減少しつつあるのであって、キリスト教信徒だけは殖えて行くように見えるが、併し総数が少ないから宗教全般からいうとあまり有利な好材料とはならず、その増し方自身も今日ではずっと下火になって了っている。――大体神道や仏教は日本が明治以来輸入した資本主義とは直接に結びつけない内容の宗教なのだから、日本の資本主義的文化の発達とは割合関係なく遺されて行くのであって、このままの形ではブルジョアジーの観念論自身からさえ見離されざるを得ないだろう。
併しこうした所謂既成宗教の他に、わが国では特有な色々の民間的な宗教現象がある。各種の所謂邪教(まだ社会的に承認を得ていない宗教営業)から始めて、色々の民間治療と結びついた信心、陰陽道(方角を気にする)、降神術、其の他がある。之はごく卑俗な形に於ける宗教現象だが、他方仏教的哲学やキリスト教神学や又形而上学的哲学や又文芸をさえ通じて、宗教的信仰が科学的(?)な衣裳を纏って潜行していることは忘れてはならぬ。ブルジョア観念論は、最初に云ったように、結局は宗教と同じ軌道に乗って了うものだったのだ。
処で、最近の日本では、一方に於てマルクス主義=唯物論が下火になったという常識と、他方大日本帝国の各種の海外発展という俗間の期待とによって、ファシズム・イデオロギーの一部分として、又夫と平行して、今まで云った各種の宗派の宗教及び各種の宗教現象が、故意に高揚され強調されるようになって来た。之は満州問
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