とは出来ない。その第三の特色は日本主義[#「日本主義」に傍点]又はアジア主義[#「アジア主義」に傍点]であるが、之は理論ではなくて単に一部の人物達の政治上の又は外交上の意志発表に理屈をつけたものにすぎない。――こういう他愛のない哲学(?)にも併し、哲学の専門家と見做されている多数の学者達に魅惑を感じさせるものがあるという事実は、ブルジョアジーのイデオロギーであるこの観念論なるものの方が、どんなに初めから非科学的であったかということを、偶々告げているに他ならない。
 さて最後に、唯物論哲学は今日の日本に於ては決して強力だということが出来ない。だがソヴェート・ロシアを除いては、最も唯物論の活きて動いている国の一つが現在の日本だろう。唯物論は一方に於てはその統一的な観点から一切の問題の合理的な解決へと進出しようとしているし、他方に於ては観念論の時宜[#「時宜」は底本では「時宣」と誤記]に適した合理的な批判と必要とに応じてはその批判的摂取をさえ企てている。ブルジョア・アカデミーは全く唯物論を閉め出しているし、唯物論者と名づけられるに値いする哲学者や諸科学者の数は決して多くはない。それが何と云っても現在の唯物論の弱みでなくてはならぬ。にも拘らず多少知能の進んだ社会分子の間には唯物論に期待を持っているものが少なくはないのだ。――だが何よりも尊重すべきものは現代唯物論(弁証法的唯物論)の理論そのものの有力さでなければならぬのである。唯物論の説明は簡単には尽せないが、少なくとも之はただの世界観ではなくて、同時に哲学の唯一の科学的方法[#「唯一の科学的方法」に傍点]を意味するものだということは、特に注目に値いする。そこを忘れなければ唯物論を物質偏重主義だとか精神を否定する主義だとか考えたがる滑稽な無知から、救われることが出来るだろう。哲学史の一頁も読んだことのあるものには、こういう無知は到底我慢なり兼ねるものだが、特に日本の政治家や卑俗な言論家達は哲学史に無知なことこの上ないのである。

   三[#「三」はゴシック体]

 処で、今まで説明してきた処によって、今日の観念論と唯物論との、一体どっちが思想の科学又は世界観の科学として科学的で学問的かということは、大体見当がついたことと思う。之を厳密に論証することはもっと手数の要ることだが、両方の特色を挙げて見ただけでも輪郭は判るだろう。
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