ト達から持てはやされているのが事実だ。一例を挙げればJOAKの聖典講義、その産物である友松円諦氏の仏教解説書、それが意外に売れたというので、色々の出版業者の宗教物出版熱。之がこの現象の最も著しいものの一つである。この現象の最も手近かな物的原因のひとつは、云うまでもなく満州事変であって、軍事的戦場として、又軍事的資源地として、更には市場・資本投下地・過剰人口移植地として、満州は日本資本主義の一つの血路を約束するように見えた。之と直接政治的連絡のある軍需工業の隆盛、それからインフレーション、低賃銀対外為替安による軽工業製品・化学工業製品・手工業的製品・の輸出の隆盛によって、日本資本主義の修正可能論が台頭したのであるが、この関係が、この現象の第二の最も手近かな物質的原因だ。之によってマルクス主義的世界観は大衆や市民がまだその根本的な核心に触れるに至らない内に、早くもジャーナリズムから以前の露骨な姿をかくして了い、それが当局の左翼弾圧の強化の結果である転向風景が点出されることによって、更に政治的に裏づけられた。中でもジャーナリズムに於けるこの復興景気に貢献したのは、左翼文壇の文学主義[#「文学主義」に傍点]的モラルへの「転向」であって、少なくともジャーナリズム上の宗教復興は、この文学ジャーナリズム上のモーラリズムの動きと切り離しては考えられない。
 だがこうした手近かな原因の背後に、もっと国際的に広範な又もっと前から歴史的に作用している所の、幾つかの条件が置かれている。現に満州事変そのものが、元来五・一五事件と全く同じ系統のものであるらしいのだが、この事変の意識的動機になっている観念(之をジャーナリズムは簡単にファシズムと呼んだが)は、云うまでもなく日本資本主義の長く歴史的に蓄積された危機から発生した、日本特有の形式のファシズム観念だったのである。一体日本に於ては、ブルジョア・イデオロギーは農民労働者は云う迄もなくブルジョアジー自身にとってさえ、決して親しいものではなかった。夫は殆んど全く小市民的インテリゲンチャのブルジョア的教養として国外から受け取られたものに過ぎなかった。
 そこで権威のあったマルクス主義的思想が一旦沈静するとなると、それの代りとして模索されるものは、ブルジョア的観念或いはそれの変容と云うよりも、寧ろ夫によってまだ侵透されるに至らなかった半封建的な世界観
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