の商店は、どんなに大きなデパートが出来ようと、それにお構いなく繁昌するというようなことを証言している「真理運動」などは、インチキどころではなく正に「真理」だということになる。真理運動に限らず、大衆の現実の苦悩からは完全に独立化した既成大宗教などは、治療や商売繁昌の御利益を説く宗教は迷信にすぎないと云っている。そのくせ自分は、日本資本主義の繁栄は宗教の御利益によらねばならぬと考えているのである。
 かつてラジオの講演で迷信についての話しをした人があったが、迷信は誤った信仰とか正しくない信仰とか色々に定義されていると云っていた。なる程迷信は迷える信仰のことに他なるまい。だが大切なことは、之がいつも必ず何等かの利害打算に基いているという点なのである。だからこそ投機業者人気商売は、迷信的なのだ。その人はこの点には殆んど見向きもしないで、単に科学的認識との矛盾ばかりを指摘していたようだが、利益や利益と思われるもののないのに、誰が酔狂に科学的認識と矛盾しようなどという気持ちを起こすだろうか。単に科学的な無知からではなく、その無知に一応満足しておいて、それよりもっと手取り早く利益を得ようとすればこそ、迷信の必要があるのである。治療宗教・御利益宗教は、自然科学[#「自然科学」に傍点]的(仮に治療医学を自然科学へ分類するとして)認識と矛盾することを却って必要とこそ感じる迷信であり、正信や宗教的「真理内容」や文化的宗教は、社会科学[#「社会科学」に傍点]的認識と矛盾することを絶対に必要と感じる迷信なのである。ただ対自然科学的迷信の方は、或る程度まで支配諸社会の必要と常識とに矛盾するので、社会的権威を与えられていないに反して、対社会科学的迷信の方は、国家的権威をさえ付与されているというだけの違いだ。
 だが支配者社会から権威を認められないにも拘らず、この対自然科学的迷信が、この頃では段々社会的に必要になって来たということを見逃すことは出来ない。医者は大衆の生活費に較べて馬鹿々々しく高価なので、併しそうだからと云って病気を治療しないというわけには行かないので、一見金のかからない類似医学やもっと大悟徹底すれば治療宗教をその代用物として採用する。もし不治の病、即ち治療費が嵩む病気ならば、そうした方が安上りに治療の良心[#「良心」に傍点]を静めることが出来て、理性的に賢明なわけだ。どうせ死ぬのな
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