だ。で、資本主義のもとに於ける統制経済が、資本主義のレーセ・フェールに相当する貧富対立を是正出来ないように、今日の階級的な教育機会の不均等の原則を改めない限り、如何に中等学校に於ける入学者の分配の公平を期しても、私立中等学校への補助を試みても、学校増設を企てても、要するにそうした「統制」や「社会政策」を施しても、入学試験の必然性を食いとめることは出来ないのだ。
 もし仮に一切の無産者大衆の子弟の中から、今日だけの数の中等学校入学志願者を募るとするならば、彼等はその素質に於て(環境による影響は別とする)、今日の小市民層以上からなる同数の入学志願者団とは較べものにならぬ程優秀な、ピック・アップ・チームを構成するだろう。この粒の揃った一団は、之をどういうように分配しようとも、良い学校と悪い学校との開きを実質的に無視し得る程度に止めることが出来るだろうと、私は想像する。それに、もうそういう場合には、頭の比較的悪い中流以上の子弟で以て一儲けしようというような、営利中等学校は存在出来まい。――つまり、今日の良い学校と悪い学校との対立は(そこから今日のような遽しい入学試験競争と受験準備とが始まる)、無産者大衆の圧倒的に多数の子弟が殺到しないのを幸にして、大して被教育的価値のない分子が、小市民やブルジョア層から、経済上の余裕を利用して、入学志願者の群に投じることから生じるのだ、と私は云いたいのだ。こうした根本的な社会的不平等が、回り回って、受験準備というような児童精神の歪曲の道へと導くのであった。
 無論こういう理想的なピック・アップ・チームとしての入学志願者達にしても、夫が中等学校から上級学校や大学へ、皆が皆そのまま這入れるというような施設は、まず望めないとしよう。上級学校へ行けば行くほど、収容人員が減ると見るのがこの思考実験では自然であるようだ。だからそこには矢張り、いつも、入学試験なるものが待ち受けるかも知れない。だが一方に於て、試験準備による教育上の惨禍は、受験者の意識が発育し独立するに従って、減少して行くのだし、又他方に於て、各段階の教育に応じて夫々、被教育資格者の全社会的な水準が設定されるのだから、要するに相対的に高度の素質をもつものが、公平に、相対的に高度の教育をうけるという結果になるだろう。で少なくとも、小学校児童の試験準備というような悪質な困難は、容易に避けること
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