座で新派組や水谷八重子達が上演した翻訳劇、ハインリヒ・マンの原作で、ヤンニングスとディートリヒとが主演した映画を、更に日本で劇に直した「嘆きの天使」が、大学教授連盟からの抗議で改変して上演されることになったという事件がある。
私は映画のしか知らないが、映画によると、ギムナジゥムの謹厳な教授が、女芸人に迷って学校をやめ、一行と一緒に巡行してあるく内、母校の所在地で舞台がかかる時鶏の鳴き真似を強いられたので、発作的に発狂し、昔の教室の机に抱きついて生命をおとす、という筋である。
大学教授連盟は、この筋が教授なるものを侮辱することのこの上ないもので、特にユダヤ人排斥の目的から書かれた(?)この作を上演することは不見識の至りだから、というので厳重に歌舞伎座に抗議した。処が同座が一向取合わないので、遂に文部省と警視庁とを労わして、最後の部分を改変させて了ったのである。即ち教授が死んだ後で生徒達がアーメンを唱えることに直したのだそうだ。
一体この劇が大学教授乃至一般に教授を侮辱するものであるかどうかが、すでに甚だ疑問であるが、もし万一侮辱する結果になるとしても、自分達自身が侮辱に値いしない教授でありさえしたら、一向怒ることはない筈ではないか。そこにムキになって怒る処を見ると、大学教授連盟そのものが甚だ心細い教授達の集まりではないかと心配になる。かつて陸軍の新聞班が発行した処の議会でも問題にされたパンフレットが世間で話題に上った時、率先して満場一致でこの陸軍パンフレットの支持を決議したものは、この大学教授連盟主催の教授達の会合であった。それから又満州から軍人が帰って来たと云っては、御高話拝聴と出かけるのも、この大学教授連盟なのである。この大学教授連盟は、陸軍の将校達を学問上の指導者と仰いでいるようにさえ見える。
だから大学教授連盟が「嘆きの天使」の教授侮辱劇を気に病むのも強ち理由がなくはないので、実際をいうと日本の大学教授や高等学校教授には、充分に侮辱に値いする存在が決して珍しくないのである。現に私の友人で、或る地方の官立高等学校の教授をズットしていたのが、一つには同僚の愚劣さに耐え兼ねて、遂々東京に逃げ帰り、今では安い俸給生活やルンペン生活をやりながら却ってホットしている男を、二人までも知っている。そして之は何も高等学校に限らないことだ。愚劣な教授が侮辱された方が却って
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