ルジョア社会の地盤から浮き上り、その代りに私立大学の方はブルジョア社会の肉体に潜入して著しい発展を遂げたかというと、事実は全く反対だったのである、世界大戦の直後以後は日本のブルジョアジーが外見上最も華やかだった頃で、今日と違って官僚の社会的役割などについて思い出す人さえない時期だったが、私立大学が新大学令によって帝大並みの「大学」に昇格し、文部省という教育官僚府のより直接な統制下に編成されたのは、恰もこの時期だったのだ。
だがこの現象はこういう風に説明されるべきである。私大が帝大並みとなり、結局本質に於ては第二義的二流帝大として帝大の一部に繰り入れられたことは、別に旧来の私大が、曾てその当の対抗の対手であった旧来の意味で[#「旧来の意味で」に傍点]の帝大に帰順したのではない。それより先に、帝大そのもののブルジョア社会に於ける意義が変って来ているのであって、名は同じ帝大でもその本質は別のものになっていたのである。と云うのは、半官僚的ブルジョア社会の発達の上からの[#「上からの」に傍点]促進のために維新以来国家の支配幹部の候補生を収容する筈だった帝大も、ブルジョアジーの外見上の華かさが意味する社会的部署の安定によって、もはやそれ以上の官僚的幹部を養成する必要を持たなくなった結果、帝大は改めて単なる市井の授職機関にまで変質したのである。私大も亦初めから市井のあまり活発ではないにしても授産場であったのだが、この市井のサラリーマン市場が、官僚市場と対立する必然性を失った以上、帝大と私大とは、今では殆んど同じブルジョア社会の市井的な授産場として、同じ本質のものになって了ったのである。
だから、私立が帝大並みに昇格したのは、実は私大が帝大に屈したのではなく、云って見れば帝大が私大に屈したようなものなのである。――だが学術授産場という資格に於ける大学にして見れば、大学そのものとしての比重の大きいのは矢張り帝大なのだ、そこで帝大を屈服させた私大も、その大学の学術機構という内容から云えば矢張り帝大に屈して之を模倣せざるを得ないのであり、かくて私大は今日、二次的な亜帝大として繁栄しつつあるのである。之はローマを征服することによってローマ文化に征服されたヴンダル人のようなわけだ。
実際今日の私大は、善い意味に於ても悪い意味に於ても、帝大と本質上少しも変る処はない。官吏や半官立的銀行や
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