言って又道徳的な権利から言って、学生層は決して特権層とも比較的な特権層とも云う事は出来ぬ。寧ろプロレタリアになぞらえられる[#「なぞらえられる」に傍点]ような無産大衆の内での、或る特別な層だと云うべきなのである。だから学生を単なる中間層とか小市民であるとか、又そういう意味に於てインテリゲンチャであるとか云うのは、一応は本当ではあるにしても、それで以て学生という[#底本では「う」が脱落]カテゴリーを片づけ得たと思うなら大きな誤りだ。
問題は学生生活の今日のような歪曲を如何にするかということだったが、今まで云って来たことで、この問題は結局、勤労大衆に属し又プロレタリアになぞらえられる[#「なぞらえられる」は底本では「なぞえられる」と誤記]ような学生、という或る特別な層に於ける生活の歪曲を何うするか、ということになった。夫は第一に[#「第一に」に傍点]勤労大衆層乃至プロレタリア層に準じて考察されるべき内容のものだ。そこでは単なる[#「単なる」に傍点]学生の問題も、単なる[#「単なる」に傍点]学生生活の問題も実はないのである。この点は「学生問題」を提出するに当って第一に大切な点だと思う。――だが第二に学生は夫にも拘らず学生であって一般の無産勤労大衆自身やプロレタリア自身ではないことは云うまでもない。或る特別な民衆だ。と云うのは知能の高い民衆であるということだ。或いはもっと正確に云うと比較的高い知能を期待出来る処の若い民衆だと云うのである。なぜなら学校教育だけが知能や教養を与えるのでもないし、又学校教育が却って知能を低めたり教養を妨げたりすることも事実だからである。
要するに簡単に云うと、学生は知能(インテリジェンス)に於て一般の民衆から区別されることが本質的な点なのである。学生は他の一切の規定によってその特性を規定することが出来る。だが今は、学生生活の歪曲を如何にするかという問題だ。この問題にとってはこのインテリジェンスが根本的な観点だ。――つまり学生生活の歪曲は他でもないので、知能という人間の普遍的に日常必要な一つの技能[#「技能」に傍点]を当然最もよく訓練されてあるべき学生が、その技能の習得に於て障害を受けているということが、何よりの学生生活の歪曲なのであって、この歪曲を矯正することはだから当然、知能という技能によって社会的特性を与えられている処のこの学生というもの
前へ
次へ
全226ページ中122ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング