店でレコードを聴くのもよい筈だ。もしダンスやコーヒーやレコードが学生の本分外ならば、凡そ今日の野球程学生の本分を踏み出したものはないと私は信じる。そして若し学生生活を何等かの手段に化すことが悪いならば、就職運動で馬鹿となるのが歪曲だと同じに、他の運動や教練だって歪曲だ。併し学生生活の本分をそんなに狭く理解すべきものではない。学生の本分は何であるかなどということを決め得る人間はどこにもいないのである。夫は学生自身が事実上決めて行くものなのである。少なくとも生活を楽しくし生活の幅をつけるということは、人生の上で大事なことだ。問題は凡ての民衆が一般的に夫をなし得ないからこそ起きるのだ。
 生活を楽しむためのチャンスが多いという点で、今日の学生は過去の学生よりも幸福であり、且又却って学生らしいのである。これ自体は学生生活の歪曲でも何でもない。それよりも要点は、学生が勉強しなくなったということらしい。――処がこの点でも無条件に片づかないものが含まれている。一体現在の学生はどう言う意味で勉強しなくなったか。私は寧ろその逆の場合に出合う事が多い。学生は仲々よく勉強する、ノート勉強をやるのである。教授の云うことを割合善良に信じるようになっているのである。就職のためにはこうした勉強は必至なのだ。して見ると之も普通の意味では学生生活の歪曲ではなくて、却ってノルマルな学生生活に還ったということに過ぎぬ。
 社会科学の勉強[#「勉強」に傍点]は、丁度文学科の学生の小説勉強のように「学生」なるものの本分(?)を踏みはずしたものであったに相違ない。「学生」と云うこの社会の馴致されたカテゴリーから云って、今日の学生生活は大して歪曲はされていない。学生と云う馴致されたカテゴリーは、今日こういう学生生活を要求しているのである。
 だから私は云うのである、学生が学生である限り、即ち「学生」と云うこの社会機構の承認されたる一環を以て自ら任じる限り、即ち又そういうものとして社会の民衆から自分達を区別する限り、今日の学生生活は殆んど何等歪曲などされていない。夫を批判したり何かする資格をその学生は持たぬのである。学生が「学生」に止まる限り、何も問題はない。あれでいいのである。だが学生が単なる「学生」ではなくて、民衆の一群であり、而も圧迫され踏みにじられた世間の大衆の或る一群だとなると、学生の問題は全く別な角度
前へ 次へ
全226ページ中120ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング