蒙活動だろうということは、常識的にも承認出来ることではないかと考える。ファシズム反対の広範な民衆のフロントが問題になる時、この一応非政治的で純文化的な政治的文化活動こそ、その処を得て最も有効に活躍し得る時であり又しなければならぬ時でもあると考えられる。フロンポピュレールの活動に於て、例えばフランスのように(又わが国の場合では往々批難さえされている処だが)、文化運動[#「文化運動」に傍点]の意義の重大さが特に認められていることは、理由があるのである。
 処が今日までわが国に於ける啓蒙活動は、決して目的意識的ではなかった。事実の問題としては相当の啓蒙的実績は挙げているのであり、例えばプロレタリア文学などが果した啓蒙的効果は絶大なものであったが、それすらが実は啓蒙活動という自覚の下に行なわれたのではなくて、啓蒙的効果は云わば思わぬ収穫として残ったというまでだ。その理由はさし当り、啓蒙という観念の有っているその政治的な特色とそれの一応の非政治的純文化的特色とのからみ合いがリアリスティックに的確に把握されていなかったことにより、又幸か不幸か、今日までそういうリアリスティックな把握を強制されるような情勢に立つことがなかったということにあるのである。――今日は啓蒙という特殊の文化活動の様式が、プロパガンダ(宣伝)やアジテーション其の他と併んで、独自の社会的意義を公認され得る条件を備えており、従って又この社会的意義を活用し得又活用しなければならぬ時期でもあるようだ。
 各種のジャーナリズム機構(独りプロレタリヤ・ジャーナリズムに限らずブルジョア・ジャーナリズムさえ)の意識的活用其の他が、啓蒙活動に固有な様式となる。今日所謂「合法的出版物」(その意味は現在極めて曖昧であるが)なるものの意味の重大性はここにあるだろう。比較的に原則的な又或る限度までしか時事的でない啓蒙活動の、素材乃至内容は、この様式の下にあっても相当運用の効果を挙げることが出来るだろうと考える。
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 12 教育と教養

 教養ということが今日一つの問題とされている。主に文学の世界に於てであるが、勿論そこに局限される理由はないし、又あってはならない。文学の世界に於ては教養は特に作家の教養という形で日程に上っている。実は読者の教養というものも問題であったので、大衆文学と純文学との比較検討の類は一部分この問題に基
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