世界史的に見ても広義の啓蒙期に入れることが出来るだろうし、又その思想史の系統から云って之が所謂啓蒙期の啓蒙思想に他ならぬことは、云うまでもない。だから日本語の「啓蒙」が当時実際意味したものが何であるにせよ、之はアウフクレールングの訳に当る[#「当る」に傍点]と云っても誤っていなかろう。
 尤も啓蒙思想は決してドイツだけのものでもなければドイツから発生したものでもない。夫は経験論乃至唯物論と並んでイギリスの地盤から発生した。ドイツはフランスを経て之を輸入したに過ぎない。処が夫にも拘らず啓蒙という言葉を云い表わすアウフクレールングというドイツ語は、他の国語では云い表わせない「啓蒙」に固有な或るものを意味している。でつまり啓蒙という事実はイギリスから発生し而もフランスに於て大きな政治的な影響を有ったが(啓蒙期はヨーロッパ諸国の文化が斉しく経験した大事な時期だが)、併しその観念[#「観念」に傍点]は(文明とか開化とか進歩とか文化とかからは区別されねばならぬ)ドイツの産だ、ということになる。
 事実啓蒙という概念が何であるかに最も注意を払わねばならなかったのはドイツの哲学者である。クリスチャン・ヴォルフやメンデルスゾーンやカントがその尤なるものだ。つまり資本主義文化の啓蒙活動に於て著しく後れていた当時のドイツは、啓蒙なるものをまず新しい憧憬すべき観念[#「観念」に傍点]として受け取らねばならなかったのであるが、それだけに啓蒙に就いての理論的分析に念を入れることも出来たし、啓蒙思想の体系的[#「体系的」に傍点]発展をも試みる理由も有ったわけだ。啓蒙期の文化である啓蒙哲学の特色の一つは、一般に就いて云えばヨーロッパ各国とも夫が非体系的で纏ったシステムを持っていなかったという点にあるが、ドイツは啓蒙哲学がシステムとして成り立った唯一の国なのである。
 私はすでに啓蒙期に於ける啓蒙哲学と啓蒙の観念との特色を説いたことがあるから、話を簡単に片づけよう(拙著『日本イデオロギー論』の内・「啓蒙論」参照)。啓蒙哲学の本質はその悟性[#「悟性」に傍点]主義につきる。と云うのは、一方に於てヘーゲルの意味での理性・弁証法的或いは有機体説的理性、の代りに、機械的な世界観と論理による物の考え方が、啓蒙哲学の歴史上の本質なのである。こういう悟性への信頼が人間の進歩を齎すというのがその信条だった。処で他方
前へ 次へ
全226ページ中82ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング