に行動として形を表わすのだが、夫と共に、他方特に思想発表行為として、即ち教示・普及・宣伝・等々の言説や集会や出版行為・展覧行為・壇上行為等々として、形を取って現われる。この後の方の文化的行為[#「文化的行為」に傍点]こそが、特に文化警察の伸縮自在な領分であって、中でも検閲[#「検閲」に傍点]がこの警察権の最も有力な内容になっている。
処が文化的行為の形を取るものに就いては、単に文化警察ばかりではなく、風紀警察も亦干渉して来る。検閲は元来文化警察にぞくするもので、文化的行動に就いてしか意味のないものだが、その内容になると、風紀警察をも含んで来ることが出来る。
この場合には、検閲は思想の検閲であると共に、風俗の検閲でもあることとなる。だから検閲はこの場合、云わば文化警察と風紀警察との、独特な結合物だということが出来よう。風紀警察が検閲に干与するのは、風俗が一つの文化的行為となった時で、例えばエロ・グロ・行為が単に社会的に公的化された場合はまだ検閲とは関係ないが、そういうエロ・グロ・行為が、或る文化的行為の形で、社会的に公的化された場合になると、検閲の対象となるのである。
で、文化警察と風紀警察とが、以上のように独特な結び付き方をすることの出来る検閲なるものは、一体文化警察や風紀警察自身が、公的社会的な者を取り締るべき本来の政治警察権のコースから離れて、相当勝手に私的個人的な世界にまで踏み込むものだったのだから、可なりの解釈の自由・寛厳の手心・が予定されているわけで、それだけアービトラリな主観的なものに根拠を置いていることになる。検閲に就いての悶着はいつもここから発生するのである。
治安維持法と出版法とに連関して、現下の思想検閲が、どんなに重大な役割を演じているか、改正された出版法や、やがて改正されるに相違ない治安維持法其の他によって、この検閲がどんなに絶大な偉力を発揮するだろうかは、今更ここで説明するまでもない。検閲制度をこのようにヒステリカルに強調するのは、思想検察という文化警察権の、例の無限界な私的化という事実と、それに基づいて勝手な主観的適用が出来るという事実とを、利用したものであって、この頃では警察権のアクセントの置き所の一つが段々ここに集中して来るにも拘らず、それだけ警察権は本来の政治警察的なコースを踏みはずして行くという一般傾向が、之で以て最も著るし
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