戯好きでもあるようだ。それから彼等は日本人が考えているよりも案外利巧な処もあるようである。だから彼等は実は日本の国際性を、国際的な重大性を、相当よく呑み込んでいながら、わざわざ知らん振りをして、ニッポンにはカッポレが打ってつけだというような態度を見せつけたのかも知れない。

 もしそうなら彼等は無知どころではなく仲々の強《したた》か者であり、従ってもはや無邪気な人種だなどとは云えなくなる。
 併しそれならば誠に怪しからぬことで、特に東郷元帥の国葬の機会などを利用してそういうユーモアや皮肉な悪戯をするというのは、どこまで不謹慎な態度かと憤慨せざるを得ない。
 だが又考えようによっては必ずしもそんなに悪意に解釈する必要はないかも知れないのであって、現にNBC当局自身は「わざと陽気なものを送ろう等という気持は全くない、それこそ飛んでもない誤解である」と云って弁解している。それに「ニッポン」人にとって陽気なカッポレも国際的には可なり淋しい曲だというAK中山常務理事の説明でもある。
 強いて悪意があってのことでないなら、厳粛であるべき場合に巫山戯《ふざけ》たり何かしたのでないなら、吾々は憤慨するのは止めようと思う。
[#地から1字上げ](一九三四・六)
[#改段]


 農村問題・寄付行為其他

   一、農村問題

 最近の新聞紙では「失業問題」というテーマが一頃のようには頻繁に見当らない。之は無論失業者が非常に減ったとか失業者が無くなったとかいうのではなくて、「失業問題」というものがなくなったことを意味するのである。と云うのは、失業問題の代りに「農村問題」というものが出て来たので、社会の輿論は農村問題で以て失業問題を蔽って了うことと決めたからである。
 失業しても貧乏さえしなければ問題でないのだから、失業問題ということは大衆の一般的な貧乏問題ということだという点を特に断っておかなくてはならないが、同様に農村問題も実は農村貧乏問題の筈である。従って失業問題の代りに農村問題が出て来たことは、一般的な貧乏問題が特殊な農村の貧乏問題にまで具体化されたものだと思われるかも知れないが、そう正直にばかり理解してはいけないのである。
 政府や資本家地主や新聞が云っていた処の失業問題は決してただの失業問題ではなかった。無産者が貧乏するのは同語反覆的に当然なことなのだから夫は問題にする必要はない、問題は資本家地主や所謂中産階級という社会の最も健全な分子が貧乏することである、否、社会の大多数の資本家地主やましてそれに及ばぬものが如何に貧乏しようとも、少数の信頼するに足る分子が夫によって増々繁栄を来しさえするならば、国家はビクともする必要は事実は何処にもないのだから、問題はこうした社会の健全分子の貧乏ではなくて、実は彼等の貧乏意識だけが困りものなのである。だから一等いけないのはこうした健全分子の内でも比較的純粋な自覚能力を持ったインテリの貧乏意識なのだというのである。失業問題なるものは実はインテリの失業問題だったのである。なる程初めから貧乏な人間がどんなに今更貧乏しても、「問題」になる筈はあるまい。
 そこで失業問題の解決は大学や学校を卒業するインテリの就職問題に帰着するわけで、而も夫が更に大学や学校の教育問題に帰することになる。現代の形式主義的、非人格主義的、唯物思想的、非実際的な教育方針が、正に「失業」の原因だということが判ったのである。こうして「失業問題」は凡そ貧乏問題とは関係のない「学制改革」問題に転化する。社会の実情に即した、すぐ様社会に役に立つ教育をやりさえしたら、卒業生の就職難は一遍で解決するというのである。だから「失業問題」というのは貧乏問題でなくて教育精神の問題だったのである。
 教育精神の問題をいくら具体化した処で、農村問題が出て来ないことは明らかだ。従って「失業問題」を具体化したものが農村問題だなどと思うと、途方もない計算違いになる。「農村問題」というのは農民[#「農民」に傍点]の貧乏問題と云ったような失業問題ではなくて、全く農村[#「農村」に傍点]の救済[#「救済」に傍点]問題なのだ。と云うのは、関東震災の時に製糸業者を国家が救済したり、神戸の鈴木が潰れた時に台湾銀行を救済したりした、ああいう意味での救済を、農民に対してはとに角、農村に対してやろうというのが「農村問題」だ。だから農村救済は農村の中小地主や中小資本家のために農村金融をしてやることだというようなことになる。無知な農民達は金融と聞くと、金を借りることばかりしか考えないが、そしてこの点に於ては「庶民金融」という掛け声を聞いて好い気持になる都会の庶民(市井人、即ち小市民)も農民と少しも変らないが、併し金融というからには金を貸すことの方が建前だということを考えて見なくてはなるまい。そうすると農村金融というのは農村に金を貸してやることであり、そればかりではなく、農村に金を貸させてやることでもあり、又更に金を貸す能力を農村に授けてやることでもあるのだ。金を借りる方は問題にならぬ、農民は問題ではないからだ。農村の中にあって、或いは農村に対して、金を貸すことの方が農村金融の、従って又「農村問題」の問題なのである。
 失業問題が農村問題に変ったのは、貧乏という生活問題が、金融という金儲け問題に変ったことに他ならない。農村問題が農民の貧乏問題だなどと思うことは、失業問題が一般大衆の貧乏問題だと思うことと同様に、飛んでもない馬鹿正直な善良さだろう。
 では農民の貧乏はどうして呉れるかと云うだろう。併し何遍も云うが、農民が貧乏するのは当り前ではないか。農民が貧乏しなかったら、彼等はもはや農民ではなくて地方地主や農村資本家だ。だから農民に就いてはその貧乏は問題ではない、丁度資本家に取って資本所有は初めから当然で問題にならないと同じである。農民に就いて問題になるのは、その貧乏ではなくて、ここでも亦専らその教育なのである。農村の農村問題は別として、農民の農村問題は「農村教育」問題なのである。問題は又しても教育精神にあるのである。
 こうやって本当の「失業問題」は、インテリ教育や農民教育の、教育精神問題に帰着する。失業問題を貧乏問題だなどと考える徒輩は下根の到りで、「失業」の本質は神聖なる教育精神の欠点にあるのだ。それでこの頃、世間の人間の思想が、考え方が、前よりは余程精神的で高尚になって来たから、貧乏と云ったような唯物思想を連想させる処の失業問題が消滅して、農村精神の作興に興味集注する処の農村問題が、それに代ったわけである。
 併し農村には云うまでもなく学校らしい学校も、大学もない、だから学制改革式の教育観と農村精神作興式の教育観との間にはまだなおギャップが横たわっている。政治家は云わば文部省と農林省との間のこの溝を埋めなくてはならぬ。この際、どっちをどっち側にまで移行させてアダプトさせればいいかは、一寸判らないわけだが、併し日本の兵士の内には農民が圧倒的に多数だという一つの事実が何よりも参考になるだろう。前内閣の枢軸をなしていた例の五相会議に於ける荒木陸相と後藤農相との関係を見れば、なぜ日本の兵隊がこの場合の参考になるかが判ると思うが、この関係から行くと、鳩山文部省と後藤農林省との比重関係は相当ハッキリしている。で鳩山式の学制改革的教育観の方が、後藤式農村精神作興的教育観に、その勢力関係から云ってアダプトしなくてはならない。
 後藤式の農村精神作興的教育は、その村塾主義教育[#「村塾主義教育」に傍点]、道場主義教育[#「道場主義教育」に傍点]に一等よく現われている。二月程前になるが、農林省では農村の中心人物を養成するために十二県に亘って「農民道場」(「百姓道」の道場)を設置することにし、後に之を十八県に亘ることに改めた。予算は十万円で之が半額補助の形式で各県に割り当てられるというのである。それから後藤農相が最も興味を持って力こぶを入れているらしい農村塾は、例えば埼玉県下の「財団法人金※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]学院、日本農士学校」だろう。之は伯爵酒井忠正氏が院長であり安岡正篤が学監である処の金※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]学院の下に立つもので、後藤農相(今度の少壮内務大臣)自身もぞくしているらしい、官僚ファシズムの団体「国維会」と連絡のあるものらしいが、東京日日新聞の伝える処によると、東洋の農本文明[#「農本文明」に傍点](!)の根抵の上に立つ新しい封建制度[#「新しい封建制度」に傍点](?)の建設を目的とする農業村塾であって、この学校の守護神社(文部省系小学校では御真影奉安殿に相当するのかも知れぬ)たる金※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]神社の大鳥居は、後藤農相自身の寄進になるものだそうである。学生の間に家長制度を設け家族会議で事を決めて行こうという思いつきである。恐らく金※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]学院学監安岡氏の哲学である日本神話に応えんがためであろう。
 農村精神作興派の教育観によるこの村塾主義、道場主義は前内閣の皆川司法次官の転向教育観の内に現われる。氏の「皆川研究所」や千葉の小金町に出来た「大孝塾」も亦この村塾道場主義に立っている。更に内務省系では、東京府が皇太子殿下御誕生の奉祝記念事業として、都下の小学生七十五万人と中等学校生徒十三万人とをば静思修養させるための純日本式設計になる寄宿寮「小国民精神殿堂」の「静思修養道場」がこの例だ。その敷地として畏くも高松宮様から御所有地を賜わるということである。
 で大勢がこうなって来ると、文部省式教育観の側の譲歩は甚だ必然で、文部省の日本精神文化研究所は、学生のストライキが起きたり何かする処から見ても、例の普通の就職難学校や失業大学と同じ種類のものであることを暴露して了ったが、之では遂に例の村塾道場主義に太刀打ちが出来ないとあきらめがついたと見えて、遂々文部省は全国に於ける村塾で農村文化(?)に貢献し人格陶冶の功績を挙げているものを選んで表彰することに決めたのである。こうして日本の教育は日増しに精神手工業的な村塾道場主義に傾いて行くのである。三田の慶応義塾など、蘭学塾か英学塾かに止まっていれば、今頃は大したものになっただろうに、大学令の改正と共に、失業大学の仲間入りをしたのは、先見の明のなかった点で重ね重ね残念だ。
 物質的な貧乏問題を、村塾道場主義と云ったような精神教育で解決しようとするこの観念論は、反技術主義と精神主義とを内容としている。村塾主義の反都会主義、反工業主義、やがて反プロレタリア主義がその反技術主義だと一応見ていいだろうが、精神主義の方になると一寸説明が必要だ。と云うのはこの場合の精神主義は実は云わば一種の肉体[#「肉体」に傍点]主義なのである。だからこそ剣道や柔道や又は坐禅と同じに、教育が道場で行われることになるのである。一体、手工業は肉体主義なのである。
 だが現在の日本ではこうした肉体主義的観念論が一般に非常に流行している。信仰家や民間治療家の多数は現に之で食っている。そればかりではなく元来之は日本国民の何よりもの勝れた特徴であるのかも知れない。上海事件の折の支那兵の死傷者一万人の内、日本兵の白兵戦創や手榴弾による者が六〇パーセントにも上っているが、之に反して日本側の死傷者七千二百人の内、支那兵の肉弾によるものは僅かに一パーセントしかなかったというので、日本人が肉弾という肉体主義的戦闘方法に於て如何に優れているかが、之で判る――失業問題だって「肉体」的精神教育で解決出来る、或いは寧ろ肉弾で解決した方が早いかも知れぬ、というのがわが「農村問題」対策なのである。

   二、寄付行為

 東大法学部教授末延三次氏は厳父の遺言で遺産の内から百万円だけを区別して、「末延財団」という財団法人を設立し、百万円の基金による利子の内年五千円を、学術研究費として帝国学士院へ、残りの利子を有望な学者と貧困な学生とに給費することにしたそうである。それから、これより先三井家は三千万円
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