るということが抑々の間違いの元で、実はスポーツの内に二種類あるのではなくて、本当はスポーツと体育との二種類があるに他ならない。大会に不参加を決意した例の選手達はだから、体育家ではあっても、決してスポーツマンではなかったのだ。――体育協会も、戸山学校も、文部省も、この点をもう少しハッキリさせる必要があるだろう。

   三、血液と制度との混線

 東本願寺では去る十四日、第二十五世法嗣光養麿君の得度式を行った、がそれは極めて画期的な意味のある得度式であったらしい。
 光養麿の祖父である大谷句仏氏は今は僧籍を剥脱されて一介の俗人に過ぎないのだが、それがこの得度式に前法主として出席しようと主張するのに対して、院内局側は之を阻止しようとするので、前日の十三日には十二時間にも渉る交渉をやったのだが、遂に妥協点を見出すことが出来ず、物分れとなったので、句仏氏が翌日の式場に乗り込んで来るだろうということは皆が予想していたことである。
 句仏側に云わせると、たとい僧籍はなくても光養麿の本当の祖父で且つ前法主である身である以上、得度式に出席するということは当然のことであり、それに、得度式に必要な立会人である証誠は前法主でなければならないように宗規によって決っているのだから、自分は列席する義務さえあるのだ、というのである。之に反して内局側は、たとえ前法主と雖も僧籍にないものが得度の厳儀に列席することは愛山護法のためから云って絶対に不可能であり、況して証誠のような責任を之に振りあてるなどは以ての外だ、という理窟である。
 仲裁者は、句仏氏に得度式の出席を見合わせて貰い、その代りに句仏氏の僧籍を復活し、そして僧籍復活の責任は現内局が取って、内局が引責辞職するようにしたらばどうか、と持ちかけたが、句仏氏は頑として承知しなかったということだ。
 さて愈々得度式の当日になると、果して句仏氏は前法主の法衣を身に纒うて、推参したという事件である。之を押し止めた僧侶達と押し合いへし合いしている間に、ある役員は句仏氏の中啓で頭を三遍もたたかれたかと見ている内に、句仏氏はコロリと転んで了ったという話しである。元来句仏氏は足が良くなかった。
 やがて東京にいる句仏氏の親戚は[#「親戚は」は底本では「親威は」]「句仏氏重態」の電報を受け取り、句仏氏の方では自分の行動を妨害した三重役を、傷害と礼拝妨害との廉で告訴すると云って怒っているそうである。句仏氏を転がして軽微な狭心症を起こさせた当の責任者になるわけである阿部宗務院総長は、それで辞職を決意したとかいうことだ。
 一体本願寺では法主の子供が法主になることになってるらしいから、法主の息子として産れたというが、それだけですでに非常にすばらしいことでなければならぬ。その息子が法主になっていようがいまいが、彼には自然的な或いは寧ろ偶然的な、絶対価値がある筈だ。生物的な関係がそこに実在してるのだから、之を疑ったり何かすることは出来ない。従って逆に、法主の親は前の法主であったことが当り前で、たとえこの前法主がどんなことをしようとしまいと、法主の正統な親であったという自然的な絶対価値に変りはない筈だ。彼が何をしたかということがここでは問題ではないので、彼が何の生れ[#「生れ」に傍点]であるかということが、総てのことを決定するものでなくてはならぬ。
 だから前法主、即ち現法主の正統な父親が、仮にどんな困った男であったにしろ、之から僧籍を剥脱するということは無意味であって、仮に之から僧籍を剥脱して見ても、前法主としての生物的な絶対的関係に何の関わりもあり得ないことだ。僧籍は之を与えたり剥ぎ取ったりすることが出来るとしても、この僧籍が権威を生じる源は何かというと、それは他ならぬ例の生物的な血の続き合いなのだから、そしてその血を他にして法主の絶対性はなかったのだから、この血に立脚して初めて意味のある前法主から、その派生物である僧籍を剥脱するということは、丁度熱を下せば病気が治るというような考え方で、本末を顛倒していはしないかと思う。
 前法主から僧籍を剥脱するということ自身が、法主が血統に立脚しているという証拠に矛盾するのだ。
 大谷句仏氏は恐らく、その血の力によって、本能的にこういう推理を身につけるのであり、従って又本能的に、本願寺内局の自分に対する僧籍剥脱の矛盾を感じているものだから、それで一見理窟の通らない、ああした目茶な行動を取るのだろう。実際、大谷家の血統の神聖さにしか基いていない筈の本願寺の内局が、大谷家の血統にぞくする法主に就いて、その僧俗を是非するなどは、全く滑稽な矛盾だろうか。
 こういう矛盾は今日の社会では容易にゴマ化されるように出来ていて、従って面倒なものだから世間ではあまり本気になって穿鑿しないのだが、世の中が段々末世になって、句仏上人のような俗物的な宗教離れのした宗教家業の子孫が産れて来ると、この変な制度に対する血液の不平が、色々の形で爆発するようになって来る。それで句仏氏は孫の得度式に、その血統の正義から云って、正に「前法主」として、出席を要求したり何かして、法燈に嵐を吹きつけることにもなるのである。
 ――だからどうも、内局で官僚的な手腕を振ってぬけ目のない僧侶達よりも、句仏氏の方に遥かに真理があるのであって、倒錯した環境では、真理のあるものの方が、いつも評判の悪い方に廻されるのが、末世の常であるようだ。
 血液と制度との結合から来る凡ゆる混乱や矛盾は何も東大谷家に限ったことではない。これによって制度は制度としての運用の途を誤り、血液は血液としての自然を傷けられる。一方に於て客観的な事物の関係を不合理にすると共に、他方に於て人間の人間らしさが失われる。こういう関係は今に、例えば親が子を可愛がることが、大変珍らしい不思議な、従って奨励すべき得がたい模範ででもあるような風に考えられるようにさえなるかも知れない。人間もそうなってはお終いだ。(一九三四・五)
[#地から1字上げ](一九三四・六)
[#改段]


 武部学長・投書・メリケン

   一、武部学長

 日本教育新聞社長、西崎某なる人物を相手取って、文部省普通学務局長武部欽一氏が、謝罪要求の訴訟を提起した。『日本教育新聞』で「断乎武部打倒」を論じたからである。西崎某の検事調書によると、彼が一年程前に、社会教育局長関屋竜吉氏の許へ行くと、局長は、「武部が五十や百の金を出すと云っても妥協してはいけない、その位いの金なら私が出してやる」と云って、武部打倒の例の記事を書くように勧めたということである。あとで西崎は関屋局長から、多分謝礼としてだろう、二、三十円の金を貰って口止めをされたというのである。
 事件の真偽の程は判らないが、そして天下の文部省の局長が教育新聞社長などに恐喝されるのも意外だし、二、三十円でこの社長を買収したのも相当滑稽だが、併しとに角一方では武部他方では関屋の、省内に於ける深刻な暗闘がこの事件によって表面に出たわけで、更に関屋局長の背後には粟屋次官が控えているそうだということは、被告側の例の社長が粟屋次官を訟人として申請していることでも判るし、又最近粟屋次官の辞職説さえ出ていることからでも、見当がつくようだ。併し噂によると文部省のあの種類の暗闘は、古くからの伝統であって、何も驚くことはないそうである。
 大蔵省には黒田閥というのがあったそうだがそれが今度の××問題で動揺し始めて、大臣や内閣は青息吐息だが、世間では却って省内の事情に関して思わぬ知識をこの事件から提供されたので面白がっているようだ。大蔵省に較べれば仕事がズッと乏しくて、そしてズッと観念論的でお説教的な内容に富んでいる文部省では、益々閥や私党の対立が暇つぶしとしても必要かも知れない。官吏のウダツが上らず、最近までは、逓信省などに於ける放送協会などのような古手官吏の捨場もない、沈澱官吏の溜りである文部省にして見れば、例えば関屋閥というようなものがあったにしろ、少しも不思議ではないのである。そこへ内務官吏型の武部が登場して来たとすれば、衝突は先天的に必然的だろう。
 暗闘にどっちが善いも悪いもないかも知れない。訴訟事件に現われた限りでは関屋局長の方が不利なようだが、それは偶々そういう暴露が思いがけない天災のように落下して来たからに過ぎないので、之で烏の雌雄は決りはしない。だから当然「喧嘩両成敗」ということになる。まず関屋社会教育局長は、日本精神文化研究所員となり、そこの所長となることになった。
 文部省の古手官吏には捨場はないと云ったが、古手官吏の捨場はなくても、不良官吏の捨場は出来ているわけだ。日本精神文化研究所というのは今度出来た思想局の伊東局長が勢力扶植のための予算取りと、鳩山文相の議会に於ける答弁用とに造ったものだとさえ云われているが、名前は研究所でも之は必ずしも研究をする処ではない。少くとも日本精神文化などを真面目に研究する処ではないようである。その証拠には、今まで多数の有名な学者に所長になることを頼んだが、どれもハネツケられたり注文に合わなくて立ち消えになったりしている。研究機関ではなくて良く云えば教悔機関、悪く云えば思想警察機関なのである。この頃では各府県庁に支所めいたものが置かれているので、どこにどういう怪しげな先生がいるかは、掌を指すように判っているということだが、要するに研究と云えばそうした「研究」をする役所であって、少くとも日本精神文化を研究する処ではない。
 関屋旧局長が教育行政に就いてどんなに博学であろうとも到底日本精神文化の研究者の代表的な学者とは世間で認めないだろうが、別に研究家でなくても研究所員になれる「研究所」なのだから、この点不思議はないのである。だが文部省内に置いておけないような札付きの官吏だからして、ここの所長に最も適任だということは、どうも少し不思議な推論ではないかと思う。他のものはとに角、「思想」に限って不良[#「不良」に傍点]官吏によって最もよく善導[#「善導」に傍点]出来るのだとすると、善導の「善」という言葉には余程妙な、世間の道徳意識では一寸理解し兼ねる特別な意味があるのかも知れない。
 だがどの途お役所のお役人のことであるから、世間の普通の文化水準から見るのでは見当違いになるかも知れないと思っていると、今度は文部省は相手方のもう一人の「不良」官吏を田舎の大学の学長にすることに決めたということである。では矢張吾々は世間並みの文化水準から物を見、物を云わざるを得なくなる。例の武部普通学務局長は一躍広島文理科大学学長にまで昇格して左遷されたのである。一体帝大や官立大学の総長や学長は官等は局長などより上かも知れないが、余程の例外でない限り、局長級の呼び出しで文部省へ出頭して、局長級に軽く顎であしらわれるのが習慣になっている。今や武部局長はこうした不名誉極まる栄転を余儀なくされているらしい。
 無論武部局長は容易に広島赴任を肯んじない。そればかりではない、広島文理科大学自身が武部氏は御免蒙るというわけである。従来総長や学長は大学自身が推薦する人物を文部省が任命する習慣なのだから、文部省天下りの学長は困るという建前である。前から辞意を洩していた吉田学長も上京すれば、学生代表も上京して、文部省当局や武部氏自身と折衝を重ねたが、武部局長自身は寧ろ広島大学側の主張に賛成なわけで、両者が一致して文部省に当るという奇観を呈している。処が最近文部大臣と文部次官とは遂々武部局長を広島赴任ということに説得し得たというので、広島大学の反対を断乎として斥けて、武部学長を送ると号しているのである。大学にして見れば、文部省に置いて困るから学長にして送ってやるというのでは、全く腹の立つことだろう。
 処が学生代表の声明書なるものを見ると、「昨春の学生大会は、わが文理科大学の後任学長として西晋一郎博士を最適任と信じ吾等は是が実現の一日も速かならんことを熱望すと決議し、……実に西博士は創立以来わが学園のもつ我等が指標にして畏くも教育者に賜りたる勅語の『健全ナル国
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