大会」に傍点]をば、神武天皇祭(四月三日午後二時)を期して宮城二重橋前広場で持つことになった。
畏くも 天皇陛下は該式場に親臨あらせられ、御親閲を賜り、優渥な勅語を賜うた。之に対して文相斎藤総理大臣は奉答文を奏し、大会は決議に入って、一、「吾等は協心戮力国民道徳の為めに邁進し愈々国民精神を発揚して肇国の宏謨を国民教育の上に光輝あらしめむことを期す」、それから、二、「吾等は至誠一貫職分を楽み身を以て範を示し師表たるの本分を完うせむことを期す」ということに一決したのである。文相斎藤総理大臣は更に、「国体の本義に基き益々我が国民精神を作興し国本を培養して皇運を扶翼し奉るの特に急なるを」訓辞した。その次には一同は新宿御苑拝観の栄を賜り、四日には記念講演会が日比谷の公会堂や大隈講堂や日本青年館や青山会館で盛大に行われたのである。――位階勲等もない而も田舎の小学校の先生が、こういう常人には思いも及ばないような光栄と、大東京の真中のセンセーションとに値いするということは、小学校の先生達が、今のわが国家、社会からどれ程期待され信任されているかを物語るものではないか。
こうした期待や信任に就いて不安があるからと云って、こういう式が行われたのでは断じてない。こうした期待や信任を宣布するためにこそこの式は行われたのだ。
併し念には念を入れなければならない。小学校の先生達に対する国民精神教育の戦士としての絶対的な期待や信任はさることながら何しろ二十五万に余る先生達のことだから、賄賂の方はまあいいとして(之は「職分を楽しむ」ことに決議したから大抵大丈夫である)悪くすると一人や二人赤化教員などを出さないとも限らない。そこで東京府学務課では率先して、主として小学校の先生達を中心とする「思想問題研究会」を組織することにした。研究委員は府市学務当局を始め警視庁・裁判所・刑務所などから思想上の権威五十名を選んだもので、その哲学上の権威に於ては並ぶべきものはない。――ついでに云っておくが司法省の皆川次官の肝煎りで出来る研究会は主に経済学の権威ある研究をするらしく、転向した有名な某氏が研究主任で積極的に研究員を勧誘していると聞いている。
文部省になると併しもっと用意周到である。文部省には学生部[#「学生部」に傍点]という特殊な存在があったが(国民精神文化研究所は確かこの管下だったと思う)それが今度思想局に昇格した。なぜ学生部[#「学生部」に傍点]が思想局に昇格したかというと、今後は学生並みに先生も取り締ろうとするからである。先生というのは無論小学校訓導から大学教授に到る迄を意味するので、だから文部省によると、小学校の先生も案外信用がないらしいということになる。之は先に云った国家による信任と期待とに一寸そぐわないようでもある。併し大学教授に較べたら、小学校の先生に対する文部省の信任と期待とは較べものにならない程大きいのだから、之は決して矛盾にはならない。
で今に小学校の先生は、その信任と期待との徴しとして、他の学校や大学の先生より優先的に植民地のように、制服を着て剣をつるようになるかも知れぬ。大学教授にも剣をつらせていいのだが、それは、大学教授は「国民精神文化研究所」卒業の検定をとること、と云ったような規定を実施してからでもおそくない。一体大学教授に小学校の先生のように資格検定の制度がないということが、間違いの素だ。
三、二つの問題
わが日本帝国の製艦技術は世界の驚異だと聞いている。どうせ製艦技術と云えば軍の機密にぞくする部分が主要な点に相当するだろうから、同様に機密にぞくするだろう。外国の技術と明らさまに対比して示される筈はないから、結局噂の限度を出ない筈であるが、従って吾々は全く素人なりに、想像する他はないのだが、その吾々素人の想像によっても、わが国の製艦技術が、少くとも非常に優秀なものだろうという見当はつく理由があるのである。
それはこういう理由からだ。わが国の科学や技術は、官公私の研究機関を通じて、恐らく世界的水準からそんなに降っているのではないようである。而もそれは極めて切りつめられた殆んど致命的な少額の研究費で維持されている研究なのである。処が陸海軍になると研究費は桁はずれて豊富であるらしい。無論決して夫で充分だとは云えないにしても大学や他の研究所に較べたら研究は極めて自由だと見ていい。これ程自由な物質的条件にあると同時に、多分特に海軍では人的に優秀な技能を選択し蓄積していると見ていい。聞く処によると明治初年の技術家や数学者の主な者はどれも海軍軍人だったそうだ。で吾々は日本海軍の製艦技術の優秀性を仮定してもいいように思えるのである。之は日本民族の優秀性というような神話的な問題ではないのだから。
処が水雷艇「友鶴」が顛覆したのは、査問会の議論によると、操縦及び艇内の水防等に原因があるのではなくて、波浪による傾斜に対抗するだけの復原力が不足だったのに基くということが明らかになった。要するにこの新型水雷艇は、設計上根本的な弱点を持っていたというのである。
友鶴はロンドン条約の欠陥を補うための補充計画により、制限外の補助艦の一種として造られたもので、従ってそれに対する作戦上の要求に多少の無理があったろうというような想像も出来るわけだが、とに角すでに服役中の同型艇三隻は早速改造されねばならず、第二次補充計画にぞくする未建造十六隻の水雷艇の設計も根本的に立て直さねばならぬということになり、海軍では新たに調査会を組織して対策を練ることに決定したということである。
一方に於て設計上の責任問題も当然起きるわけで、特に顛覆当時艇長以下二百名の将兵を失っている処から、問題は極めて重大であるが、それはいずれ軍法に照して処置するものは処置するだろう。何にせよ優秀な製艦技術を誇るわが軍部としては、之は国民に顔向けならない事件だということを、深く記憶しなければなるまい。
鳩山文相を明鏡止水の心境から辞職の決意にまで追いこんだ岡本一巳代議士は、勢いに任せて今度は小山法相の収賄問題というのを持ち出した。併し之は明らかに図に乗り過ぎて早まったという形であるように見える。というのは、本当を云うと鳩山文相が辞職したのは、決して岡本一巳氏による「暴露」などと関係があったのではない。その証拠には岡本代議士は懲罰委員会から、衆議院の登院を禁止されたのを見ても判る。その理由は、岡本氏が軽卒にもありもしない鳩山文相の不正を「暴露」したからに他ならない。だのに岡本氏は自分の云ったことが本当だったもので、鳩山は文相を罷めなければならなくなったのだと思い込んで了ったのである。で今度は、その調子で、小山松吉氏をも罷めさせてやろうと考えて憲兵隊へ訴えて出た。処が都合の悪いことには小山氏は司法大臣の職にあるので、事件は交渉の上憲兵隊から検事局に廻されて、岡本氏はどうやら逆にひねり上げられそうになって来たのである。
小山法相(当時の検事総長)を饗応したという待合「鯉住」は、小山起三氏という弁護士の行きつけている処で、木内検事の取り調べの漸定的な結果によれば、饗応されたのは法相ではなくてこの弁護士だそうである。即ち岡本代議士は途方もなくあわてたもので、スッカリ人違いをして了ったわけだ。――だがいくら何でも時の検事総長と一弁護士とを単に名前が同じで而もあり振れた小山という名だというだけで、人違いをするのは、あまりと云えばあまりだと思っていると、岡本氏が証人として挙げている「鯉住」の女将お鯉さんが、憲兵隊へわざわざ自分から出頭して確かに検事総長の小山さんに違いないと申し出たのである。
そこで検事局ではお鯉さんと弁護士の[#「弁護士の」は底本では「辞護士の」]方の小山氏とを対質させて見ると、弁護士は「私が鯉住へ云った」と云い、之に対してお鯉さんは「あなたは来なかった」というので、一向埒があかない。そこで、どうもお鯉さんが嘘をついているらしいと云うので、宣誓させてもう一遍テストすると、矢張小山検事総長に違いないというので、遂々検事局は、お鯉さんを偽証罪で告発し、市カ谷刑務所に収容して了ったわけである。
お鯉さんと岡本代議士との背後には黒幕があって、それが二人を操っているという、検事局の見込みらしい。それに関係して某代議士も召喚されるかも知れないという。なる程そういうことも大いにありそうなことだ。だがお鯉さんはかつては数多の高位顕官を手玉に取った桂公の愛妾だ。老いたりと雖もメッタな嘘はつくものではないだろう。嘘をついたとすれば多分相当大きな意味を持つ嘘だろう。ただお鯉さんは何と云っても高が待合の一女将に過ぎないのだから、この大きな意味のある嘘を、「本当」にまで組織するだけの条件が欠けていたばかりに、有態に嘘つきの罪名を被せられる浮目を見なければならなかった迄だろう。
検事局の取調べ中の事件に就いて、とや角云うことは無意味なことだし、又恐らく邪魔にもなるだろうから、深く立ち入って想像を廻らすことなどは慎まなければならないが、併し新聞を読み合わせて見てどうも判らない一点は、小山弁護士とお鯉さんとの対質で、なぜお鯉さんの方が嘘つきで小山弁護士の方が本音を吐いていると判ったかである。無論検事局ではその点ぬかりはない筈だが、新聞の上ではどうもその点がはっきりしない。で世間ではこんなようにこの関係を解釈出来やしないかと云っている者さえもいるのである。それは、小山弁護士もお鯉さんも別に嘘をついているのではなく、両方とも少しずつ思い誤りから出発しているので、特にお鯉さんは誰か小山検事総長の兄弟か何かで法相に非常に能く似た人が検事総長の名を騙ったのを、ウッカリ本物と思い込んで了ったのではないか、と。それならお鯉さんは少くとも嘘つきの悪名だけは雪げるわけである。(一九三四・四)
[#地から1字上げ](一九三四・五)
[#改段]
失望したハチ公
一、失望したハチ公
雨の日も風の日も、死んだ主人にお伴をした習慣のままに、渋谷の駅頭に現われるハチ公である。彼は今では全くの宿なしで、大分老耗したルンペンだったが、外に行く処は別にないし、それに習慣というものは恐ろしいもので、周囲の事情がどう変ろうとも、渋谷駅の方に足が向く古い癖は決して直ろうとはしない。だが彼はこの牢として抜くべからざる奴隷的な陋習のおかげで、渋谷の駅頭ではすっかり縄張りが出来上り、顔なじみも段々殖えて、自分のルンペン振りもどうやら職業化して来たことを感じるようになったのである。
初めは嫌な顔をして見せた駅夫達も、彼の「顔」が相当売れ始めたのを知ると、時々お世辞などを云って接近しようと企てる者さえ出て来る。特に彼が駅長の注目を惹くようになってからは、彼は云わば駅に於ける公民権を得たようなもので、前よりも一層有利な条件で以て自由に自己宣伝も出来るようになった。力めて栄養も取るように心掛け始めたので、見目形も少しは好くなって、それだけ益々有利に事情は展開するようになって来たのである。
で遂に彼は忠義者のハチ公として、名高いハチ公として、売り出すことになって了った。実は自分でも初めはこう人気が出るとは思わなかったのに、世間は案外なもので、彼は今では押しも押されもしない街の名士になり上って了った。それで彼の処にはこの間から、新聞に書いてやろうの、写真を呉れのと、ジャーナリストが盛んに訪問して来る。俺も偉くなったものだな、と彼は何かくすぐったいような嬉しさを感じるのである。もしも主人が死ななかったら、俺もあんなに落ぶれずに済んだわけだが、併しその代りにこんなに偉くなる機会も掴めなかっただろうから、何が幸になるか判らないものだ、とつくづく考えられる日が幾日も続いた。
処が四月の二十一日である。彼は自分が何とも知れぬ気味の悪い紅白の布を首から背中にかけられているのを発見して、スッカリ不愉快になって了った。自分の好まない衣類を着せられる程、自分を惨めに感じることはないので、彼はひどく不安そうにウロウロしないではいられなくなった。
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