るものは、もはや単なる武士道ではなくて、実はもっとブロック性を持った王道[#「王道」に傍点]であることが明らかになって来た、併し何にせよ王道は武士道の進化したものであることに間違いはないようである。
武士道=王道の権化である荒木陸相は云うまでもなく現内閣第一の花形である。予算会議に於て、又所謂「内政会議」に於て陸相はいつも中心人物になっている、処が先年の終頃から内政会議にはもう一人の花形が現われ始めた。後藤農林大臣が夫である。
元来内政会議は農村対策問題が中心になって来ているもので、後藤農相の中心人物振りは寧ろ当然であるのだが、現内閣の持論である農村の自力更生主義の上に立って、後藤農相の内政会議は農村精神作興案なるものを採用したのである。之ならばあまり予算も掛らないし、それに凡ては精神が基礎で外の物質的な事情などはどれも精神の発動した結果に外ならないので、精神作興がいつも最も根本的な政策であるから、之程正しくて安上りな農村対策の出発点はない筈だ。而も恰も「愛国愛土の精神」こそ後藤農相の持論なのである。
そこで農相は「百姓道場案」なるものを提示した。それによると、全国の各府県のうち適当な地方に中心人物養成所とも称すべき百姓道場を設ける(例えば茨城県などが最も適当)。政府及び地方庁は之に若干の建設補助を与えるが、経費は自給自足でやらせる。入所すべき人物は地方で折紙づきの篤農家候補を厳選する(貧農は御免蒙ることにする)。約二カ年間窮乏に耐えたスパルタ式訓練をなす、即ちなるべく未墾の荒蕪地を選んで開拓させる。こうやっていつしか愛国愛土の百姓が完成し、それが銘々の村に帰って夫々の中心人物となって百姓道を作興しようというのである。
之が後藤農相の農村対策第一歩としての、「具体案」だそうだが、農相はマサカ例の愛郷塾のようなものを考えているわけではあるまい、もしそうだとこの際一寸問題だ。そうかと云って武者小路の「新しい村」のようなものでもないようだ。何しろ百姓道を体得した恐るべき百姓を造り出そうというのだから前代未聞の痛快事だと云わねばならぬ。「造士館」とか「健児の社」というのは昔聞いたことがあるが「百姓道場」は全く独創的だ。
私は之が空想だとか何とかとは考えない。皆が真面目にやる気にさえなったら、いつでも出来る至極手軽なプランだからだ。だが第一に肝心の内政会議に出席した閣僚自身が気乗り薄だというから如何にお手軽でも実行されないかも知れない。ただ、如何に之が実行出来てもおあつらえ向きの百姓が出来るかどうかは問題だし、ましてそうした百姓が農村問題を解決する鍵になるかどうかも、今ここで保証の限りではない。
だが問題はこれが目的を果せるかどうかにあるのではない。問題は、荒木陸相の武士道が後藤農相の手によって「百姓道」にまで下落して来て了ったという痛恨事にあるのだ。軍事予算だろうが、軍縮会議だろうが、愛軍思想(?)だろうが、反軍思想取り締りだろうが、もはや×××では云うことを聞かなくなって了ったらしいのである。何しろ戦争に出るものは主として貧窮した地方農民自身なのだから、百姓は如何に軍服を被せても百姓なので、武士道は被服に達しても容易に骨肉には達しないのは尤もだろう。だから武士道の代りに百姓道が今日絶対に必要になったのだ。
後藤農相は他方に於て農村の工業化の方針を持っている。その意味は実は、工業の農村化なのだそうである。工業を都会に集中しないで農村に移植しようというらしい、少くともそういう結果になりそうなのである。こういう工業の農村化と例の百姓道とどういう必然的な連絡があるか、一寸吾々には判らないが、夫はとに角として、どうしても農村化し得ない工業があるということは農相と雖も否定出来まい。そういう工業があるどころではない、元来が工業というものがそういうものなのだ。処で問題がここまで来ると、今度は多分、中島商工大臣あたりが登場して来なければならなくなる番だろう。併し耕地の換算や国粋建築にとって仇敵のようなメートル法を振り翳す商相のことだから、問題の調子は大分変って来るに違いない。商工大臣が何かの間違いで有力になどなると、百姓道の代りにプロレタリア[#「プロレタリア」に傍点]道などがのさばり出すかも知れない、そうなっては日本もお終いだ、ブルジョア道はこの頃すっかり評判を悪くしているから安心だが心配なのは百姓道が今度は労働者道などにまで下落して来わしないかということである。(一九三四・一・七)
[#地から1字上げ](一九三四・二)
[#改段]
荒木陸相の流感以後
一、エチオピアのプリンセス
皇統連綿三千年の歴史を誇るアフリカの盟主、エチオピア帝国のリヂ・アラヤ殿下が、妃の君の候補者をわが大日本帝国に求められ、子爵黒田広志氏の次女雅子嬢(二十三歳)を第一候補として御選定になったということは、すでに旧聞にぞくする。三月号の婦人雑誌はどれも之も、この記事で大さわぎである。日本の婦人雑誌は殆んど凡て婦人の性愛欲と名声欲と所有欲とを中心にした一種の専門雑誌で今日では女にとって結婚が丁度そうしたものの総合になっている処から、婦人雑誌は取りも直さず結婚雑誌なのである。処で今度のこの結婚問題は、相手の殿下が黒人でいらせられ、且つ殿下が皇甥殿下であらせられるという点で、婦人雑誌に最も特異な専門的な刺※[#「卓+戈」、135−下−11]を与える処のものであるらしい。この話しを載せないものは婦人雑誌の資格はないようだ。
結婚専門雑誌である日本の婦人雑誌は殆ど凡て大出版事業にぞくすると見ていい。即ち婦人雑誌はそれ程売れるのである。この現象は一応は尤もで、男は政治家とか技術家とかという細かく分れた専門家であるために、それに必要な専門雑誌の売れ方は、たかが知れているが、女の方は大部分の者の専門が結婚なのだから、婦人雑誌の売れるのは当然かも知れぬ。だが、大事な点は、婦人雑誌は決して実際的に結婚の媒介をしようとする意志があるのではないことだ。
名流家庭の夫人や令嬢や映画俳優は、結婚の紹介をするためにではなくて、単に結婚観念を刺※[#「卓+戈」、136−上−7]するためにその写真を並べているのだ。で婦人雑誌の結婚専門雑誌たる所以は、今日わが国などで一等欠けている合理的な結婚施設や、又世界各国で見失われた結婚の物質的地盤などを、提供する点にあるのではなくて、ただでさえ過剰を来している結婚観念を意地悪くいやが上にも緊張させる役目にあるのである。婦人雑誌は、結婚よりも寧ろ結婚観念を享受したがっているわが国の既婚未婚の婦人達を、その読者としているから売れるのであるらしい。
婦人雑誌のことはどうでもいいが、とに角婦人達のこの緊張した結婚観念に思い切ったショックを与えたのが、黒田嬢の独自な勇敢な決意だったわけである。日本の婦人達は之を聞いて、さぞかし安心もしただろうし、又悲観もしたかも知れない。内心では軽蔑しながらも表面では讃美するものもあるし、内心は少し羨しくても[#「羨しくても」は底本では「※[#「義」の「我」に代えて「次」、136−上−20]しくても」]表面ではケチをつけたがる者もいるだろう。いずれにしてもやや不思議な意外な決意だということが世間の婦人達や男達の常識観のようである。
だが併し実は少しも不思議がることはないのである。フィリッピンのオリンピック選手と誼みを通じたり、フィリッピン人の低能留学生をさえチヤホヤしたりする位の近代日本女性であって見れば、由緒の正しい黒人王族に感能を動かすことは、あまり不自然なことではあるまい。殊にエチオピア帝国は皇統連綿恰も実に三千年に及んでいる。この頃流行る日本主義者達の説明によると、日本精神なるものは何よりも先に、わが国の皇統連綿たる点に立脚しているので、この点こそわが国体の本質に外ならぬそうである。そうすると、恰もエチオピア帝国は、その国体の本質をわが国の夫と極めて相斉しくするものということが出来る。わが国の国体を愛するものはだから、誰しもエチオピアの国体をも尊敬しないものはない筈だ。そして国体に対する尊敬さえ持てたら、後の色々な点は実は云わばどうでもいいので、その国の文化水準がどの位進んでいるかとか又はどの位進歩し得るかと云うような点は、国体に較べれば大した問題ではないのである。そう考えて見れば、黒田嬢の例の決意には、何人も肯かずにはいられない国民道徳的必然性があるではないか。
ヒトラーは神聖な純正ドイツ人が外国種の人間と結婚することを禁じているが、同じファッショと云っても、ドイツのは敗戦の結果凡てを失った揚句のものだが、わが国のは之とは正反対に、満州帝国を建設し××××処のファッシズムである。だから日本では外国種の人間と結婚するということは何より尊重すべき事柄なのだ。日鮮融和の実もそうやって挙ったものだし、日満融和も皆この手を併用すべきだろう。植民政策にも色々あるが外国の土地で外国人との間の雑種を創り出す程完全な言葉通りの植民はない筈である。この大きな理想の下では人種的偏見位い邪魔なものはないのだが、黒田嬢の例の決意はこの点で極めて植民政策的コスモポリタニズムの意義のあるものなのだ。
無論黒田嬢は、植民政策の御手本や何かではなくて、レッキとした独立国エチオピア帝国に嫁して行くのであるが、その海外発展的な進取の気象は、日本人の御手本として何より教訓に富んでおり、失礼ながら天草や何かの女達とは違って、立派に日本女の模範とするに足るものだろう。満州帝国の建設に際しては、××××××××××××××××××××××にしなければならなかったが、黒田嬢の御輿入れの場合には、幸にしてそうした×××××××××、ただただ歓声と和楽の裡に、海外発展の事が幾久しくめでたく取り行われるのである。
吾々は口うるさい婦人雑誌などの云うことには眼もくれず、日本国民の一人として、黒田嬢のこの国体観念的、国家発展的、決意を讃え、その結婚生活の幸多からんことをひたすら衷心祈るものである。聞く処によると、黒田嬢は天資明朗、美貌と健康との持主だということである。エチオピアの国民達よ、願わくば新しく日本から来た魅力に富んだこのプリンセスの優れたジェスチュアやポーズに親しく接して、このプリンセスの故国日本でどしどし過剰生産されつつある商品も亦、如何に優れたものであるかに思いを致し、陸続として日本品の注文を発せられんことを。イタリアからもイギリスからも日本製のこのプリンセスのようなサンプルは、決して送って来ることが出来ないということを、幾久しく認識されんことを。
二、治安維持法から国体維持法へ
現内閣の思想対策委員会で原案を作った治安維持法改正案が、衆議院に提出されてから相当時間が立っている。初めの世間の想像では、どうも資本家に多少でも不利になるような改正案ではないのだから、委員達は例の調子で一瀉千里スラスラと片づけてくれるだろうと思っていたが、この委員達に限って仲々シッカリしていると見えて、政府が心配してイライラする程審議は停頓している。
委員会の開催はすでに九回以上にも及んでいるが、まだ政府に対する質疑を打ち切るに到っておらず、法律ばかり厳重にしても無効だとか、軍部大臣の出席を求めるの、軍人の政治干与に就いて海軍側の意向をただせのとダダを捏ねている(陸軍は、林陸相の言明を信じるなら、今では海軍よりももっと左だから問題はないが)。
こんな立派な而も時節柄「重大性」を有った改正案になぜそう文句をつけるのかというと、彼等委員達、即ち代議士達が「右翼」に就いてはツクヅク懲り懲りしたからで、右翼取締りの条項をこの際何とかして治安維持法に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入させようというのである。
処が政府側の見解では、一体右翼団体は共産党のような国体否定の思想体系を有っているのではなく、又その組織も大衆的全国的国際的ではないのだから、団体そのものとしては取り締る必要はないし、又法文
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