はない。その大部分は例の玉川学園の「学校事業」に使っているのだから、学校事業家としての氏としては堂々たるものではないかと思う。
新聞で見ると(読売六月二十五日付)、成城へ子弟を入学させている武者小路や加藤武雄、北原白秋の諸文士(いずれもあまり進歩的な顔振れではないことを注意すべきだが)が、小原擁護のための声明書を出し、「ペスタロッチの信条を信条として一生を新教育のために捧げた氏を、その恩顧を受けた教育者である人間が、金銭上の問題で当局に訴える」という「非人間的行動」を非難したそうであるが、この弁護の仕方よりも、私の弁護の仕方の方が、よほど筋が通っているだろう。
世間では小原氏を「教育家」だと思っているから、教育家の特権を濫用する者として、小原氏を非難したくなるのである。併し今日教育家というのは「先生」ということで、学校使用人のことなのだ。こういう「先生」が教育事業のために公金を私消することは、巡査が収賄するのと同様に、特権の矛盾を暴露するもので、大いに非難されるべきことだろう。世間は小原氏を失礼にも例の巡査並みに取り扱おうとする。だが小原氏は決して巡査並みの「教育家」などではない。
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