分自身の個人的性能やなどを理由として、そう云っているのであって、即ち自分自身の個人的な条件に就いてそう云っているのであって、マルクス主義者の客観的な信念や行動に関する見解が動揺[#「動揺」に傍点]したからそう云っているのではないのである。之は各種の所謂「転向」物とは一寸違った物語りなのだ。
聞く処によると、博士の資性は決して実践家、政治家に適したものではないそうである。京大時代の博士は、学者としての科学的信念から云っても、教授としての行政的手腕から云っても、卓越したものがあったそうだが、丁度この二つの点が禍いして、例の河上事件となり、経済学部教授会は「自発的」に博士の辞職を決議した。滝川事件とは異って大学の「自由」も文部省の「顔」もつぶれずに済んだのは同慶の至りであったが、その代りに博士は政治家として新労農党の樹立、やがてその解消、地下潜入、という「山川」を越えては「越えて」辿り行かねばならなかった。之は博士自身にとっては外部から来る圧力に押された迄だったのである。(之に反して京大系統の博士の旧弟子達は、逸早くも反河上派に、反マルクス主義の信奉者に「転向」して了ったのである。)――博
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