のように陽気になっている世間に、更に景気をそえるために、又吉報が現れた。河上肇博士が「没落」したというのである。河上博士自身にとっては没落するかしないかは大問題だが、社会的結果に就いて云えばあまり大して問題ではない筈だと思うのだが、世間が之を以て左翼の崩壊の吉兆だと見たがる処に、博士の没落の社会的な意味があるのだ。もしそうならば之は単に一個の河上博士の個人的な大問題ばかりではないことになりそうである。抜かりのない世間は事実、之を例の転向問題と結び付けてはやし立てている。――だが世間は何と浅墓なオッチョコチョイに充ちていることだろう。
 あくまで率直な博士は、自分が今日、到底共産主義者としての、即ちマルクシストとしての、実践活動に耐え得ないことを有態に告白し、マルクス主義を奉じながらなお且つマルクス主義者[#「主義者」に傍点]ではあり得ないことを、独語している。共産主義者としての自らを葬り、共産主義的学徒として資本論の飜訳を完成しようと告げているのである。その声や誠に悲しく、その心情のまことに切なるものがあると云わねばならぬ。
 だが博士は、年を取ったことや身体が弱ったことや、又恐らく自
前へ 次へ
全402ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング